草食系男根主義

どうやら俺は優しすぎるらしい」というのを読んで。

上記記事においては、お付き合いしているという相手の女性から、誕生日においては不要となったストラップをあてがわれ、デートの約束は忘れられ、挙句妊娠したというから結婚しようといえば「必要が生じたら連絡する」と言われたという聞くも無残語るも無残なある男性の経験が語られ、その男性による総括として以下のように締められている。

それでも、こんな自分勝手な女が、これから先も自分勝手なまま、周囲を拒絶し続けて
孤独に生きていくのかと思うと、見捨てることにどうしても抵抗がある俺はやっぱりおかしいんだろうか?

どうやら俺は優しすぎるらしい

あるある。
出汁にして申し訳ないがこういうのってたぶん往々にして、ブクマページでも散々言われているとおりいわゆる優しいというのとは少し違って、むしろダメな相手を救ってやる<ヒーローとしての自分>が好きなだけの話ではないのかな。女性を屈服させ支配したいと思いつつも自分の<男根>に自信がないものだから、ダメな相手を探し、相対的優位を手にしようとしているだけとか。

相手の言いなりになるという表層的な立場関係を、女性を内心で見下すことで逆転させているわけだ。女性の不出来な部分を、自分が埋めてあげているのだというふうに。

上に引用した部分を見れば明らかなように、ここまで来てその相手に執着する理由が”相手が自分勝手だから”ということは、要するにそもそも相手が自分勝手でどうしようもないやつでない限り、関係性を持続できないということだろう。根本的に男性側が自らを優越的な立場だとなんとか思える限りにおいて、関係が成り立っているわけだ。

もしそうなら、というか女性にそういうことだと受け取られていたとしたら、それは嫌がられるだろうなと思う。まだ、背伸びして見下してくる人の方がかわいげがあるものね。はじめは何でも言うことを聞いてくれる男に対して立場的な優位を感じていたかもしれないが、徐々にバカにされてるかのように思い始めたのかもしれない。

というか、そもそも相手を見下すような構図、自分が優越でないとならない関係というのが、相手を救いたい、ヒーローになりたいという大儀というか心情と大きく矛盾しているわけであって、もともとそんなものが長続きするはずもなく。

なんとなく追記(09/8/27)

これはつまり、対象を近代化させるという大儀のもとに推し進められたが、その実態は単なる支配と搾取であり、結局最後まで自らの優越的立場を手放すようなことはなされずに同じ近代人と称することすらなかったという植民地主義の発想と同じものである。

根本的に矛盾しているものは長続きしない。