投資銀行の仕事について

 投資銀行業界大研究

米系大手投資銀行における巨額報酬は今やあまりにも有名で、投資銀行という名前だけは誰しもが一度は聞いたことがあるだろうが、では実際投資銀行というのはどのような仕事をするところなのかという点については、あまり明らかになっていないように思う。

うっかり投資銀行に憧れてしまっている学生諸君や、巨額報酬への妬みから投資銀行への敵対心を抱いているものの内情を知らないためにうまい批判も出来ずに不満を鬱積させているネット難民諸君のために、投資銀行という仕事の内情について少し書いてみることにする。

表向きの価値

狭義の投資銀行というのは、名前の割には投資もしないし銀行でもなく、じゃあ何をするのかと言えば企業の新株発行における株式の引受業務や、企業同士の合併・買収(M&A)におけるアドバイザリー業務が代表的なのであって、要するに日本語で言えば証券会社の法人部門であるという話は以前書いた

さて、こうした株式の引受やM&Aのアドバイザリーといった業務には共通する部分がある。それは、市場では捌けないほど大量な株式のトランザクションを伴う取り引きであるという点だ。そうした取引が行われる場合、大抵投資銀行が現れて、大体似たような仕事をする。

それはどんな仕事か。市場では捌き切れないという点がポイントで、市場で捌くならそこには市場価格があるが、市場外ということになれば話は別ということになるからだ。ここに投資銀行という仕事の需要がある。つまり、投資銀行の本質的な価値の源泉のひとつは、市場外取引における客観的かつ適正な取引価格を算定することにある。

それは投資銀行界隈で一般的にバリュエーションと呼ばれる仕事で、新米の投資銀行家などは夜を徹して数多の企業のバリュエーションと格闘することになる。M&Aにしろ引受にしろ、提案の段階でバリュエーションの作業は不可避だからだ。証券アナリストやトレーディングという仕事も、同じ価値に基づいた派生業務であるといえる。適正価値と市場価格の歪みで儲けましょうという仕事である。

かくして投資銀行家は、バリュエーションのプロフェッショナルとして、ときには株式の秘められた価値を見出し、ときには知られざるリスクを暴き、結果として巨額の取引を成立せしめることで、常人では味わうことのできないダイナミズムを体感し、また、ご承知のとおりこれまた巨額の報酬を得るに至るという寸法である。

投資銀行の欺瞞

と、ここまではいわゆる投資銀行のリクルーティングのページでも見れば普通に書いてある、いわば投資銀行の外づらにあたる部分になる。今更そんなことを書いたところで仕様がないので、今日はもう少し踏み込んだ話を書く。

上述した「投資銀行の価値」には、極めて決定的な欺瞞がある。それは、何だかんだ言ったところで、株式の客観的かつ適正な価値など算定しようがないという点だ。いや、算定しようがないというかむしろ、存在すらしないかもしれない。存在すらしないかもしれない客観的かつ適正な価値を、さもそれがあるかのような顔をしてまことしやかな詭弁を弄し、単なる絵空事を吹聴してまわるというのが本音ベースでの投資銀行の実態に他ならない。

投資銀行の価値、即ち投資銀行家が一人前になるために身につけるべきスキルというのは、こうした実態を知れば自ずと明らかになるが、要するに価値の定かではない高額商品を他人に売りつけるときに必要なスキルであると言える。ラッセンの画商でもイメージしていただければわかりやすいと思うが、それは客観性などとはほど遠いものであり、まさに主観性の極みである。客を煽てて、たらしこんで、気持ちよくさせて、ほのめかして、誤魔化して、価値を騙って、雰囲気を盛り上げて、終いにはよくわからないうちに買わせてしまうというのが真にプロフェッショナルな投資銀行家である。

投資銀行における出世

バリュエーションとはなにか。それは顧客にしっかりとした検討をしているのだと錯覚させるためのツールである。バリュエーションレポートにおいて重要なポイントは、小難しくて理解不能な妙ちくりんな計算式と、レポートの厚み、それから質の良い印刷である。こうした重厚で、どこかで神秘的ですらあるレポートを、高そうなスーツを身にまとい、小奇麗で洗練された雰囲気の投資銀行家に自信満々といった口調で読み上げられると、すっかり気持ちが高揚していつの間にかわけのわからないものを買ってしまうという人は意外と少なくないのだ。

大体、どこの投資銀行でもアソシエイト(日本語で言うと「下っ端」。)クラスは、毎日徹夜という勢いでバリュエーションのレポートや提案書を作っていると聞く。バリュエーションが投資銀行の重要な価値だと言うなら、そんなに重要な仕事を新米にやらぜたりするだろうか。これは、投資銀行というところには、バリュエーションよりももっとずっと重要な価値の源泉があることのひとつの重要な証拠である。

よって、日夜バリュエーションに勤しむ投資銀行の若きアソシエイトたちは、それに気づかない限り、一人前になるために必要なスキルとは程遠いところで無駄な作業を続けることになる。マネージングディレクターと呼ばれる投資銀行のボスへと続く出世の道は、バリュエーションの知識やスキルを磨いたその延長線上にはない。スキルの連続性がないという意味で、投資銀行のアソシエイトというのは実は下積みではない。単なる奴隷だ。

一人前の投資銀行家になるために必要なスキルと関係があるのは、端的に言えば社内営業だ。上司を煽てて、たらしこんで、気持ちよくさせて、ほのめかして、誤魔化して、成果を騙って、雰囲気を盛り上げて、終いには大した仕事もしていないのに評価されてしまうというのが真にプロフェッショナルな投資銀行家への道だ。このあたりの事情は、「サルになれなかった僕たち―なぜ外資系金融機関は高給取りなのか」という本に詳しい。下品だが楽しく読める本だ。興味があれば一度読んでみてもいいかもしれない。

まとめ

であるからして、投資銀行志望の学生諸君は「投資銀行で自らの専門性を高めたい」などと頓珍漢なことを言ってはならない。それは奴隷になりたいと言っているのと同じだ。不思議なことに投資銀行の人というのは、奴隷を求めている割には奴隷にすすんでなる人を好まない。奴隷から這い上がってやると思ってる人を奴隷にするのがすきなのだ。

どちらかというと、面接官の自尊心をくすぐってやると「君は見所がある」みたいな話になると思われる。面接官が何に対してアイデンティティを持っているかは人によって違うが、大抵は巨額の報酬か、世の中を動かすほどの大規模案件を動かしているのだという見栄か、クライアントの財布からカネをくすめるときの快感かのどれかだ。大体この3つくらいのパターンのうちどれに当て嵌まるかさえ見抜けば、何とかなる。

それから偉そうな投資銀行家を批判したいという諸君は、投資銀行の言うバリュエーションなんかただのインチキだなどと罵っても何の意味もない。そんなことは本人が一番よく知っているからだ。事業のリスクを定量的に把握?出来るはずがないそんなこと。

大抵の投資銀行家は、「で、その仕事は誰がとってきたの?」とか聞いておけば黙る。偉そうなことを言っても大半の仕事はただ単に上から降ってきたものだから。

ああ、そういえば(追記)

書き忘れたけれど、投資銀行の欺瞞を知りつつなお、投資銀行に仕事を頼んでくる人というのも意外と多いのもまた事実。そういう人が何を期待しているかと言うと、次のようなものがある。

  1. そうは言っても自分で値付けするよりは客観的
  2. 株主に文句言われたときの保険
  3. 情報
  4. 人手不足

1についてはそのまんま。
2については言ってみればコーポレートガバナンスの弊害で、ポストM&Aなどで何かしらトラブルがあって株主に文句言われたときに、取締役会はこれほど有名な投資銀行に頼んだのだと言う為に頼むということ。投資銀行は屁理屈のスペシャリストだから、クライアントの意向にそれっぽい理屈をつけて差し上げることはお手の物だ。
3については何だかんだ言って投資銀行に相談する人が多いからこその話だが、結果として投資銀行にいろいろ情報が集まるので、そういうのが聞きたい人は投資銀行と良好な関係を構築したがる。
4についてはM&Aにしろなんにしろ、投資銀行が出張るような大規模な取引というのは、普通の会社は滅多に経験するものではない。なので、そのための人員というのは普通いない。だから投資銀行などに頼る必要があるという話。


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