バカの定義と読書のリスクについて

なんで世の中には「バカ」な奴がいるのだろうなという素朴な疑問から出発し、そういえば「バカ」とは具体的にどういうことかなと考えていて、ひとつ思いついたのが以下の定義だ。

 何にも考えてないのに、考えたような気になってる人。


これは考えてるようなフリをしてる人や、いわゆる知ったかぶりのような人とは違う。本人が本気で考えたような気になっているという点がポイントだ。典型的なのが、本で読みかじった知識やフレーズを恰も自分が発案したかのような顔で騙るも、本当は自分では何も考えていないから、その知識やフレーズについての理解が本質的な部分にはまったく至っておらず、少し突っ込まれただけで狼狽して馬脚を現すパターンである。


考えたような気になっている人は、そもそも考えることを放棄した人よりはましだろうか。

自分で考えない人というのは確かに、仕事の局面では忌避される傾向にある。ポイントだけ伝えても、それをどのように行動に移したらよいのかを考えないから、何をどうすればよいのか、こちらがいちいち事細かに1から10まで全部指示を出す破目になるからだ。コンピューターのプログラムも書いたとおりにしか動かず一切融通が利かないが、あれと同じだ。ただしプログラムは、きちんと書きさえすればミスなく正確に作動する一方で、人間はどうしてもミスをまったくなくすことは出来ないから、何も考えない人というのは要するに、出来の悪いコンピューターみたいなものだ。

ただ、出来の悪いコンピューターは、出来の悪ささえ具体的に把握しておけば、コスト次第では使いどころもあるかもしれない。冒頭述べた「バカ」はいっそう始末が悪いものだ。「バカ」は、考えたような気にはなっているものだから、ポイントを伝えると何だかんだと理屈をつけて何かしら行動をはじめる。それはそれで結構なことだが、本当は何も考えてないので、行動はことごとく失敗する。で、さらに始末が悪いのは失敗を指摘すると、自分は正しかったとか思っているから、聞きかじったフレーズを振り回して喚き散らす。


はてなのみなさんからは希望を奪うことになるかもしれないが、私の印象では本ばかり読んでる人というのは、大抵「バカ」である。たぶん読み方になにかコツがあるのだと思うが、本を読むという行為は、出来の悪いコンピューターが、「ただのバカ」に格下げになる危険性のある非常にリスキーな行為であるといえる。下らない本に中途半端に影響されたばっかりに、目の前の現実を見据えることが出来ず、それこそバカバカしいほどに現実離れした空想ばかり語っている人というのを何人も知っている。

本を読んでいいことは、勉強してます感をアピールしてキャラ作りをするというのがまず一点目。二点目は本当に基礎的な知識の習得。複雑な概念などになると、本を読んだだけで習得しようというのはまず無理。自らが能動的に行動するなどの体験が不可欠だと思う。あとは、自分の体験を事後的に体系的に理解するための裏づけやきっかけというくらいではなかろうか。


冒頭の疑問に戻ると、世の中に少なくない割合で「バカ」がいるのは、多分にこの「読書」の影響ではないかと思っている。小さなときから学校の教師を含む似非知識人が、素晴らしき読書の効能を口々に謳うものだから、我々は読書にリスクがあるということをまったく意識するきっかけがないのだ。まるで「バカ」の再生産である。

読書にリターンがあるのであれば、それを得るためには何らかのリスクをとらなければならないというのは、普通に考えればアタリマエのことだ。そして、読書のリスクは、既に書いたとおりだが、「なんとなく何かを考えたような気分になってしまう可能性」だと思う。この「なんとなく何かを考えたような気分」は人を堕落させ、目標達成を阻害する可能性を持つものである。

学校教育は、「バカ」の一つ覚えで本や教科書を読ませるのではなくて、そもそも読書にはどういうリスクがあって、どうすればそのリスクをコントロールできるのか、など根本的なことを教えたほうが良いのではと思った。

追記

以下は、当記事に寄せられたコメントのひとつであるが、まさに飛んで火にいる何とやらである。

「考える」と「考えた気になる」の定義を明確にしないと、このエントリが「考えたような気になってるエントリ」だと指摘される余地が生じてしまう思うのですが、その辺はどうお考えた気になられるのでしょうか?

はてなブックマーク - snobocracyのブックマーク - 2009年11月28日

「考える」と「考えた気になる」の区別がわからないと来た。「考えた気になる」というのは、本文でも書いたとおり「本当は考えていないのに」というニュアンスを含む言葉である。であれば、「考える」と「考えた気になる」の区別は「考える」と「考えない」の区別とまったく等しい。「考える」と「考えない」の区別くらいさすがに自明でよろしかろう。

私の上のエントリーは、何かのパクリであるという可能性を除いて、自分で「考えた」ものに他ならないから、「このエントリが「考えたような気になってるエントリ」だと指摘される余地」など、対処を検討するほど大した「余地」ではない。

実に間抜けな指摘である。

はてなにおける議論(笑)では頻出する「ブーメラン」という概念がある。これは、「他人への批判が自分自身にも当てはまっていること」を指すネットのスラングだ。このid:snobocracyこそは、まったく何も考えずに、ただ「ブーメラン」という猿知恵に感化されて私の批判を無効化しようとしているに過ぎない。普通、ちょっと考えれば「考える」と「考えた気になる」の区別くらいわかるだろう。

まさに「バカ」である。