学歴偏重主義の弊害
少し前の記事だが、日経新聞によれば、日本マクドナルドが従来の採用方法を排しすべての採用をインターンシップ経由に切り替えたとのことである。やたらと学歴を重視する日本の採用慣行は明らかに悪弊であり、こうした新しい試みというのはもっと歓迎されるべきものではないかと思った次第。
日本マクドナルドホールディングスは2012年春入社の新卒採用から会社説明会を廃止し、インターンシップ(就業体験)参加者から選考する方式に一本化する。3日間のインターンシップで学生の資質をじっくり見極め、学生にも会社への理解を深めてもらう。先進的な取り組みとして注目を集めそうだ。
マクドナルド、新卒の説明会廃止 選考は就業体験のみ
学歴偏重主義というチキンレース
我が国における大学進学率は年々上昇を続け、最近では50%を超えている。つまり大半の人が四年制大学へ進学するわけだが、これは単に企業の採用枠が大卒中心だからその対策として進学するのであって、大学で学ぶ知識なり経験なりが何かの役に立つということではないと思っている。
少なくとも私は、中学・高校で学んだことはまだ覚えていても、大学で学んだことなど何一つ覚えてない。いわゆるひとつの青春時代的な意味合いでは貴重な4年間だったのかもしれないが、学業や資質向上の面からは、完全に失われた4年間*1だった。
一方、採用企業側が何故かくも無意味な学歴という単なるシンボルに固執するかといえば、学歴競争の結果を援用することで、選別にかかるコストを削減したいがためだろう。
学歴の重要性がある程度社会的に共有されている限り、学歴競争の結果はそれなりに有意である。現状、学歴競争は10年にも及ぶ熾烈なもので、そこでの敗者は他の競争でも敗者となる可能性がある。企業にとって、そうした敗者と勝者をある程度選別できることの意味合いは大きい。
こうした状況は、ある種のチキンレースのように見える。学生側も企業側も、大学教育自体には大した意味がないことは薄々感づきながらも、既存の採用慣行から外れると損をする可能性が高まる(学生は就職できない可能性が高まり、企業は学生を選別する方法を別途考案する必要がある)から、仕方なくレースを続けている。
経済発展と教育
これは純粋に私見だが、例えばある社会において、経済の発展と共にナレッジが蓄積されると、教育コストは上がる。そして教育コストが上がると、家計の負担が増えるため出生率は低下するだろう。結果として労働人口は減少することになるが、その影響は一人あたり生産性の向上で補われる。
子供を農業に従事させる場合、生産活動に従事するまでの期間は比較的短く、また田畑さえあれば生産のためのナレッジも伝達に膨大な時間を要する類いのものではない。一方、子供を医者や弁護士にしようと思うと、20年から30年の期間と莫大な初期投資(教育費)がかかる。仮に生まれた子供をすべて農業に従事させる社会と、すべて弁護士にする社会があったとすると、どちらの社会の出生率が低いかは自明だろう。
よって、弁護士になる人が増えると人口は減ることになるが、一般に弁護士は農家よりも高い付加価値を生むから、人口の減少を1人当たりの生産性向上によって補うことができる。弁護士は起業家などに置き換えても良い。
教育バブルと長期低迷
ところが、ナレッジの蓄積と乖離して教育コストだけが上昇してしまうと、人的資本は減少し、社会の経済的発展は阻害される。人口が減少するだけで、生産性の向上がみられないからだ。
そして、上でみたように学歴がチキンレース化している状況こそはまさに、ナレッジの蓄積とは無関係の教育バブルであり、実際に我が国の経済は長期に渡って低迷を続けている。私は、日本の長期低迷の原因の一端を教育(特に高等教育)に見出さずにはいられない。
日本が長引く低迷から抜け出し、再び成長の軌道にのるためには、庶民に大卒という有名無実のステータスを高値で売りつける詐欺大学を一掃し、社会全体としての教育コストを押し下げるべきである。
そのためにはまず、企業が学歴偏重の採用活動をやめる必要があるだろう。言うほど簡単なことではないが、冒頭で紹介したマクドナルドのような事例が徐々に増えればいいと思う。
企業はかつてない採用コストを負担することになろうが、成功すれば有能な社員を他社に先駆けて雇い入れることが可能になるというメリットもある。
*1:ほんとは5年行った。