滅び行く株屋の街、兜町

東京駅のすこし東、地下鉄東西線の日本橋駅と茅場町駅の間くらいに兜町という地域がある。その中心に位置するのが日本の株式取引の中心地、東京証券取引所であり、その周囲にも銀行や証券会社などの金融機関が多い。まあ、私の勤務地なのだが、この兜町という街がなかなか特殊なところなのである。

オヤジの街

まず、兜町にはやたら喫茶店が多い

ドトールやスタバといった大型チェーン店ではない。それもあるが、特に多いのがいかにも家族経営風の、昔ながらの喫茶店である。そうした喫茶店は、特に都心では大型チェーン店による出店攻勢と価格競争によってすっかり駆逐され、あまり見かけることもなくなったと思うが、兜町にはいまだに大量に繁殖しているのである。

こうした喫茶店の特徴だが、まず高い。

コーヒー一杯で、普通に400円以上する。

値段はスタバ並だが、ほとんど持ち帰りの需要には対応しておらず、その場で飲んでいく客が大半を占める点がスタバとは大きく異なる。だから、おそらくコーヒーの料金設定も、コーヒー豆の原価というよりは、居住設備の減価償却費という側面が強いのだろう。コーヒーは、値段の割には決してうまくない

で、その施設設備だが、これがまた古い。

つい先ほど、コーヒーの原価が主に設備の減価償却費ではないかと言ったばかりだが、その設備も明らかに償却が終わったようなものばかりなのである。30年は余裕で経っているだろと感じる。

結果として、割高感が強い。

なぜかくも割高なコーヒーを提供する喫茶店が淘汰されずに存続しているのだろうか。

市場経済の聖地たる兜町でこのような市場の歪みが放置されていては東証のメンツにかかわるだろうから、代わりに私の方でいくつか仮説を提示すると、まずは顧客における高い喫煙率である。兜町の喫茶店の客は10人いたら8人くらいは喫煙者であり、コーヒーをすすりながらスポーツ新聞を読み、合間にタバコをふかしまくるというのが基本スタイルだ。

今日び、ドトールでさえ分煙政策をとらざるを得ない程に嫌煙社会が徹底されているが、今話題にしているような兜町の喫茶店で、禁煙ないし分煙を導入している店は皆無だ。これは例え話の類ではない。本当に一件もないのだ。兜町の喫茶店は、社会に迫害されている喫煙オヤジにとって最後のオアシスということなのだろう。

兜町の喫茶店が提供していると思われる価値は他にもある。

夏になってみて気付いたが、兜町の喫茶店はやたら涼しい。いや、寒いと言った方がいいだろう。先般の大地震に端を発する原発問題によって、いま日本列島はどこも節電ムード一色なわけだが、そんなことはおかまいなし。兜町の喫茶店は、冷蔵庫かと思うくらいの気温で絶賛営業中である。これもおそらく、基本暑がりの汗ダルマオヤジにとって、何にも替え難い価値となっているに違いない。

更に言うと、兜町の喫茶店で提供されるアイスコーヒーには、デフォルトでガムシロップが混入されている。はじめて飲んだ時はあまったるくて驚いたものだ。アイスコーヒーをブッラクで頼みたい場合は、態々「ガム抜き」という旨を添えねばならない。昨今の健康志向をまったく顧みない暴挙であると言える。

少し長くなってしまったが、兜町の喫茶店は完全にオヤジオリエンテッドなのである。ある意味、ドラッカー式マネジメントの鏡ではなかろうか。

「顧客が第一」

である。もうこれは、オヤジのオヤジによるオヤジのためだけの喫茶店と言っても過言ではなかろう。


で、実は、兜町という街においては、オヤジに照準を合わせているのは喫茶店だけではない。街全体がそうなのだ。

イタリアンやフレンチなどのナウな感じのレストランは基本的に存在しない。たまに間違ってできるときがあるが、大体つぶれる。そしてつぶれた後にできるのは、8割がた立ち食いそば屋。これもこれで、糖尿病や痛風を患い、接種可能な食事に厳格な制限を課せられているオヤジの生態を浮き彫りにしていると言えるだろう。

若い人はみんな都会に行ってしまった

兜町という街がオヤジの街になってしまった理由は単純で、若者が出て行ってしまったからである。別にどこからともなくオヤジが集まってきてそこが街になったという話ではない。残されたものがオヤジだっただけである。

つまり、いわゆるひとつの過疎化なのだ。

兜町に起こっていることは。

倒置法で言うと。


過疎が起こるとき、若者たちの行く先は決まっている。

都会だ。

若い人たちはみんな大手町や丸の内に建った新しいビルに引っ越してしまった。日興証券大和証券も丸の内に行ってしまった。野村證券は一応日本橋の東証裏にシンボリックな本社ビルを残しているが、大手町にも本社がある。兜町に残ったのは、そういう都会に引っ越すことのできなかった居残り組であり、新卒を雇って教育するだけの体力がない会社なのだ。

だから、兜町の街は空きテナントで溢れている。1階部分にはさすがにテナントが入っているビルが多いものの、2階から上はよく見るとガラガラだ。で、数少ないテナントから立ち出でるは、上述したような人生の折り返し地点を超えたオヤジばかり。

そう。兜町はいまや廃墟と呼んで差し支えない風情となっているのだ。


ところで、お気づきの人も多かろうが、若者が出て行った先の大手町や丸の内というのは、実は兜町の目と鼻の先だったりする。具体的には、兜町から永代通りを西に1kmほど行けばそこはもう大手町だし、そこから南に300mも行けば丸の内なのだ。完全に徒歩圏内である。

古びたオヤジ共の街と若者たちの都会は隣接しており、それが故にはっきりと境界線がある。

ちょうど日本橋駅と茅場町駅の中間くらいに昭和通りという通りがあるが、そこを境にまったく雰囲気が変わることになっている。昭和通りさえ越えれば、そこにはCOREDOなんていうシャレオツな駅ビルもあって、そこにはかの有名なメリルリンチさんがご入居されていたりとなかなか華があるが、昭和通りよりも茅場町寄りは、上述した通り。からっきしなのである。

なんとも不思議な話だが、もう歩いている人種からしてまるっきり違うのである。兜町界隈では、そもそも女性がほとんどいない。いたとしても95%が制服だ。歳は40前後だろうか。いかにも給湯室で上司の悪口を言いそうな、絵にかいたようなOLである。これがCOREDO近辺まで行くと、カジュアルにしろフォーマルにしろ、私服の女性も散見されるようになる。男性でも平均年齢が5歳〜10歳くらい一気に変わるのではなかろうか。無論、兜町の方が上。

ダブルのスーツとか、イマドキ兜町くらいでしか見かけないような気がするのだが。

証券業界の不況の根

さて。1年や2年景気が低迷したくらいでは、ここまでのことにはならない。兜町の景気はもうずっと下り坂なのである。兜町という街は、証券業界が長きに渡る不況に晒され続けた結果なのだ。

証券業界の不況はある種構造的なもので、それ故に根の深いものである。簡単に言うと、市場が健全に発展すると証券会社の利ざやは減ってくいく関係にあるのだ。

証券会社は市場を通じた資金調達、いわゆる直接金融において投資家と調達主体を結びつける役割を担うが、市場が本当に効率的であれば証券会社など必要ない。要するに、証券会社の利益の源泉は、本質的には市場に存在する情報の非対称性であり、非効率性なのだ。市場が効率的で真に株価が適正であれば、本当は個別銘柄のリスクなど分析する必要もなく、その時点でいわゆるセルサイドアナリストは職を失う。公表されている事実は全て株価に織り込まれているわけだから、利鞘を抜くためには、未公表の事実を「予言」するか「こっそり聞いちゃう」しかない。市場から「利鞘」は消失するから、何の銘柄を買っても平均的なリターンしか上がらないこととなり、プロ投資家も存在できないこととなる。

証券会社が生き残るための基本戦略はふたつだ。

ひとつは新しい市場をつくりだし続けること、もうひとつは、市場の利鞘が拡大するタイミングをじっと待つことだ。前者が総合証券の戦略であり、後者は株屋のそれだ。

前者について言えば、新しい市場では市場参加者も未成熟だから、価格形成も適正には行われない。すると利鞘が生まれる。例えばデリバティブと言われる設計した人でさえわけのわからないような複雑な商品がそれにあたる。あれはある意味、証券会社が顧客に説明するために複雑な形状になっているようなところがある。いわゆるマッチポンプであり、硝子屋が街中の硝子を割ってまわる行為に近いものがある。

後者は、自ら市場を創造するような知恵も資本も持たない中小零細証券会社にとっては唯一の道である。それはつまり、景気の波にのるということだ。株式のような手垢のついた商品でも市場がパニックに陥った時や、新参者が大量に流入してきたときなどは一時的に値動きが荒くなり、利鞘が生まれることがある。市場は波のようなもので、4年とか5年くらいの周期で上昇トレンドと下降トレンドを繰り返している。上昇が極限まで来ると人々は熱狂して株を買い漁り、下降が極限まで来ると人々はパニックになって株を売り浴びせる。こういうときに利鞘が拡大するのだ。だから、証券会社にとってのひとつの重要なビジネスモデルが景気の波の少しだけ先を読んで、コストをコントロールすることなのである。

そうして波間を漂う藻のように生きてきたのが兜町の零細証券たちであるが、長期的な利鞘の収縮に抗うには足りず、徐々に基盤を失い、生命力を失っている。

兜町の未来

遠からず、兜町の証券会社はほとんどが潰れるのではないだろうか。

古くからの証券会社は東証の株を持っており、膨大な含み益があるから、東証が近く上場したら、それらの証券会社は保有株を市場で売却すれば利益を廃業資金に充てることができる。

だから、東証が上場すると一気に廃業する証券会社が相次ぐだろうというのは、兜町では有名なオヤジギャグである。

そうして本当に街から人がいなくなれば、再開発が行われることになるだろう。

なにせ場所はいい。銀座からも丸の内からもほど近く、ベッドタウンとしては最適だろう。ただ地価は安くないので、住める人は銀座のホステスか丸の内の金融マンくらいかもしれないが。ただそれはそれで、また面白い街になりそうではある。