有名ブロガーメルマガと芸能人ディナーショーの共通点について

最近、とみに有料メルマガがブームである。

つい先日も、切込隊長で有名なやまもといちろうさんと金融日記の藤沢数希さんが、相次いでメルマガを創刊した。

その他にも、ネットである程度有名と言われるような人は大抵メルマガを発行している。

いまや、ネット界隈である程度名を上げた末に有料メルマガを始めるという一連の流れは、完全にパターン化されたと言っていいだろう。昔メルマガといえば、メルマとまぐまぐくらいしかなかったが、いつの間にかBlogosも始めているし、他にも新規参入は少なくないようだ。

メルマガに新規参入、何か今更だが。メルマガ、やっぱりブームなんだろう。

有効な課金手段としてのメルマガ

理由は分からないでもない。インターネットでの課金手段というものが限られているからだ。

古くパソコン通信の時代から、インターネットというものは、どうにもこうにも課金との相性がよろしくない。当初から課金を前提に設計されたiモードをはじめとするモバイルインターネットが課金天国として力強く発展したこととは実に対照的だ。

そういう中にあると、「ブログが人気です」「月間100万円PVです」というようなことに仮になったとしても、ともすれば単に「よかったね」というだけの話で終わってしまい、いざ課金と言うことになると「うーん」と頭を抱えてしまうということは多い。のだろう、たぶん。

グーグルのアドセンスに代表されるアフィリエイト広告というのは、現状においてブロクを収益化するうえでの最有力手段なのだろうが、これもイマイチパッとしない。実際問題として、いまご覧いただいている拙ブログ、多いときだと月間に10万近いアクセスがあるが、アフィリエイトの報酬というのは精々5,000円程度でしかない。仮にアクセス数が10倍の100万PVになっても、単純計算で5万円にしかならない。大規模になることによるプレミアムで2倍、さらに効果的な広告設置でさらに2倍になったとしても、20万円である。20万円、まあそこそこの金額ではあるが、月間に100万ものアクセスを集めるトップブロガーの収入と考えると、実に夢がない。うーん。

と、そういうときに頭をもたげる選択肢こそが、おそらくメルマガなんである。

思うに、第何次にあたるのかよく知らないが今のメルマガブームの走りは、堀江さんではなかったか。堀江さんのブログは、月額800円という料金設定で、10,000人を超える購読者を獲得した。つまり月800万円の収入であり、年収で言うと、ほぼ1億円。アフィリエイトによる雀の涙的な報酬と比べると、天と地ほどの差だ。 で、そうした懐事情を、堀江さんがまたわりと明け透けに公言するものだから、その発言ひとつひとつが、まるで海賊王の言葉が男たちを海へと駆り立てるかのように、ブロガーたちをメルマガへと駆り立た。

そう。大メルマガ時代の幕開けである。

みたいな。

まあ、概ねこのような理解である。

今メルマガが流行る不思議

ということで、メルマガを出す方の根本のところにある動機(=カネ)というのは想像に難くないわけであるが、よく分からないことが2つくらいある。

まず、なんで今更メールなのかということ。

これは、テクノロジーの話といえばテクノロジーの話だ。IT業界は日進月歩、次から次へと新しいテクノロジーやサービスが生まれている。先週もこのブログで書いたように、つい2年前に誕生したサービスに800億円もの評価がつき、10年前には影も形もなかったフェイスブックなんていうものが、明日にでも時価総額8兆円で株式を公開しようとしているわけだ。にもかかわらず、である。日本のネット界隈でいま一番アツいのはやっぱりメールマガジンですかね、ってなんかおかしくないだろうか。

別にアイフォンやアンドロイドのアプリでもいいし、キンドル電子書籍でもいいではないか。それこそフェースブックのアプリでもいい。なんでメルマガなのか。動的なコンテンツもなければインタラクティブな仕掛けもない。ただのテキストデータをメールサーバーを経由して送るというだけの原始的な仕組み。どうにもこうにも、ブームとしてはローテク過ぎると思うのである。これが最初の疑問。

それから、メルマガを購読する人が世の中にそんなに大勢いるという事実もよくわからない。だって、高くないか?メルマガ。

先にも上げた堀江さんのメルマガは、確か800円で月に4回発行だったと思うが、肝心の内容は、記憶してる限り、「こんなビジネスモデルが儲かるのではないか」的な講釈や、「勾留中はこんなことしてました」的な回顧録なんかがメインのコンテンツとされていたやに思う。

まあ、「あの堀江さんが注目する新ビジネス!」と煽られればまったく興味がないというわけでもないし、あのライブドア事件という特異な事件を、当事者として、しかも勾留中という特殊な環境下でどのように捉えたのかというのも、知りたくないわけではない。

しかしながら、価値とは相対的なのである。エコノミストでも日経ビジネスでもいいが、世に氾濫する数多のコンテンツの中で、堀江さんのメルマガだけが毎週毎週珠玉であられる蓋然性というのは、無いに等しい。そんな毎週書いてたら当然ネタって切れますよね、と言ってもいい。

にもかかわらず、である。

そこで定期購読を選択する合理性というのは、一体何なのか。

よくわからない。

ブログでは書けない話などとよく言うが、そんなものメルマガでも書けまい。

これら疑問というのは、何かメルマガの購読者を腐すとか、そういう文脈では断じてない。いちブロガーの端くれとして将来的な課金収入の可能性に思いを馳せるとき、読者に提供すべき価値がまったく想定できないという、ある種切実な問題なのである。

プライベート空間とファン心理

ということで、メルマガの何たるかに頭を悩ませ続けていたわけであるが、最近啓示が降りた。

タイトルのとおりである。

要するに、芸能人のディナーショーみたいなものではないのかと。

そう考えると、上記疑問が一気にクリアになる。何故今更メールなのか。これはおそらくプライベートな雰囲気と親密さの演出なのである。

堀江さんのメルマガでは、堀江さんが読者からの質問に答えるというQ&Aのコーナーが最も人気を博していて、毎週たくさんの質問が届き、堀江さん自身がそれに全部答えているようなことを、以前に当人のブログで読んだ。そのときは、結局他のコンテンツが大して面白くないということなのではないかと訝しがった記憶があるが、ファンイベントであれば交流がメインになることは、考えれば当たり前のことだった。ディナーショーにおいて、ステージから降りた芸能人が歌いながらテーブルの隙間を練り歩き、ファンと簡単な挨拶を交わすみたいな風景を夢か何かで見たことがあるが、メルマガのQ&Aコーナーというのは、まさにそういうことではないのか。

メールはローテクだと上では書いたが、メールというのは文化的側面が強いものだ。あれは、テクノロジーの進歩が創り出した新しい概念といった類のものではない。あの便箋のアイコン、カーボンコピーという呼称など随所にみられる紙メタファー、無駄に多い儀礼的なマナーなどから明らかなとおり、電子メールというのは、もともと存在していた手紙の文化を、オンライン上に無理矢理置き換えたものである。

だからだと思うが、メールというのはどうにも相手と向き合う感が強い。オープン⇔クローズという尺度で言うと、WEBが極めてオープンであるのに対してメールは実にクローズドだ。最近はWEBでもSNSなんていうクローズドなサービスが活況だが、それでもまだまだメールよりはオープンだろう。だから、普段ブログを読んでいる相手からメールが来るというのは、読者の視点からすると、結構急激に親密さが増すユニークな経験なのかもしれない。みのもんたの思いっきり生電話にも似てる。

次の疑問に移ろう。なぜメルマガは高いのか。これはおそらく、ファンが相手だからだ。

世間広しと言えども、「腹が減ったから」という理由で芸能人のディナーショーに行くやつはいない。みんなファンだから行くのである。当たり前だが。

次のような話を聞いたことがある。

光GENJI諸星和己は、光GENJIの解散から10年以上たった今でも1万人近いファンクラブ会員を組織しており、当該会員から生じる会費や、ファン向けのプライベートイベント(それこそディナーショーの類だと思う)、グッズ販売によって1億円以上の収入があるという話である。噂話のうえにうろ覚えなので、まったく信ぴょう性には欠けるわけだが、何となくさもありなんという感じがしないだろうか。

このさもありなんな感じだけを頼りに話を進めたいと思うが、要するにこのファン心理というやつは、キャッシュ・フローの源泉としては極めて安定しているのだ。ファンであることがアイデンティティの一部になってしまうと、もう金を払わずにはいられない。

蛇足になるが、このことは、アーセナルヤンキース、それにホークスといった人気スポーツ・チームのスタジアムが証券化され、数十年と言う年限の債券を発行していることからもわかる。

証券化される資産はキャッシュ・フローの安定感が肝だから、普通は例えばロンドンの地下鉄など、そういうインフラ系の案件が多くなるものだが、そうしたスタジアムなどが好んで証券化されるというのは、要するにファン心理というものも、インフラ並みに安定したキャッシュ・カウであると考えられているということに他ならない。

ということは、堀江さんのメルマガも、証券化したら30億くらい調達できるかもしれない。生命保険は必須だ。

メルマガ向き不向き

さて。このように考えると、同じ有名ブロガーでも、メルマガという戦略に向いている人とそうでない人がいるような気がしてくる。

堀江さんは、もちろん向いている。

キャラが立っていて、人気もあるからだ。不自然なまでに合理性を前面に押し出した彼の価値判断は、悩み多き子羊たちにはたまらないだろう。要するに持ちネタがプライベート空間で威力を発揮しやすいわけだ。

そういう意味では、逆にハックルさんや池田先生はあまり向いてないようにも思う。

ファンが多いことに違いはないが、彼らの魅力というのは、あまりプライベートな感じのスペースでは映えないと思うからだ。あの統合されているのか何なのかよくわからないキャラクター、筋が通っているのか通っていないのかよくわからない論理、計算されているのかどうなのかよくわからないファン心理。

ディナーショーというよりは、どちらかと言うと野外ライブみたいな見せ方が向いているんではないか。だから、マネタイズを考えるなら、ファンとのプライベートなやり取りを売りにすると言うよりは、野外ライブの会場でビールを売るみたいなやり方のほうが良さそうだ。なんの例えか知らないが。

あとは、冒頭でお名前を出させていただいた藤沢数希さん。こちらは、かなり器用な印象があるので、まあソツなくこなすだろうという気はするが、一方のやまもといちろうさんの方は、さほど向いてない予感もする。ちょっとハラハラするぐらいの毒舌が売りの彼のブログだが、同じ芸風をメルマガでやると、ただの陰口になってしまわないか。あまりマメにファンサービスをしていく風にも見えないし。ただ逆に真面目な感じでやっていくのかなという感じもする。

ファイナルベント翁も、意外とメルマガで商業化という野心を隠さないが、まああんまり向いてないのではないか。誤解を恐れずに言えば、イメージが暗すぎる。消費意欲を煽らない。まじめに社説の解説とかしそう。おそらく、自分というものを客観視し過ぎではないのだろうか。自分のキャラというものに対するコミットが感じられない。もっとこう、なんと言うか、息をするように自然に友達のような顔ができる人が向いてるんじゃなかろうか。人なつっこいというか。

で、私の中では、断トツ向いてそうなのがちきりんさんだったりする。

アンコールに応えて3回くらい、「そんじゃーね。」とかやるイメージというのだろうか。

あの方は、なんとなくファンサービス向きだと思う。そのちきりんさん、残念ながらメルマガについては発行の可能性すら否定している状況だ。きっとそれには訳があって、おそらくメルマガにリソースを割くよりもブログで広範に読者を集めたほうが彼女にとって便益が高いとかそういうことではないかと推察するが、案ずることはない。メルマガでは社会派の冠は脱ぎ捨てて、おちゃらけ人生相談と旅日記にすれば、ブログの方とコンテンツは被らないし、毎週ネタに悩む必要もない。ファンも喜ぶ。何も問題ない。

ということで、何の話かよくわからないが、ちきりんさんは是非メルマガをやったほうがいいというのが本日の結論である。何という大きなお世話だろうか。