信頼関係の生まれるところ

人間は、社会的な動物である。
社会をつくることで、生活の基盤を安定させ、外敵の脅威を遠ざけ、生存の可能性を高めてきた。

そして、社会をつくるためにどうしても必要となるのが、情報の伝達と共有だ。だから人間は、情報を伝達するための様々な手段を発明し、社会生活に取り入れてきた。その最たるものは、当然言語である。

とはいえ、言語は完全ではない。それは、誤った情報をも伝えてしまう恐れのあるものだ。悪意があれば、言語によって社会を機能不全にすることもできてしまう。

そうした事態を防ぐため重要になってくるのが、信頼関係だろう。基盤としての信頼関係を構築することで、情報の伝達をよりスムースに行えるようになる。情報の伝達がスムースになることで、その社会は共同体としてより洗練されていくのだ。

いきなり何の話をしているか。

バチェラーである。

そう。

まただ。

ただバチェラーの話をできる相手がいないのだから仕方がない。ここに書くしかないのである。悪しからずご了承ください。


といういことで、バチェラー久保である。

いや、われわれはもう友人だ。違うか。でも久保くんと呼ばせてもらおう。久保くん。彼は、賢い男だ。だから、家庭の本質が共同体であり、その根幹が信頼関係であることをよく理解しているだろう。久保くんが女性の本心を探り、本音を聞きたがるのもきっとそのためだ。ただ、信頼関係とは、恋愛感情のことだろうか。自分はやはりそうではないと思うのだ。

結局、信頼関係とは、責任だろう。

つまるところ結婚の成否を分かつのは、相手に対して責任を感じることができるかどうかなのだ。相手に対して敗北を認めるだけの理由を見つけることができるかどうか、と言ってもいい。これはもう完敗だとなれば、結婚を申し込んで、相手の人生に対して責任を負えばいいわけで、要するに恋愛とは、自分の敗けに納得できるかどうかを見極めるためのプロセスなのである。相手の気持ちなど、実は関係ない。

だから久保くんには、ぜひもっとシンプルに、素直に判断してほしいと思う。本音で語り合えるかどうか、価値観が一致しているかどうか、この際そんなことはどうでもいいではないか。

相手のことを、相手が持っているものを、自分が本当に欲しているかどうか。

ぜひそれを突き詰めて考えてほしい。

ゆきぽよのおっぱい揉みたい。もっとそんな感じで良かったのではないのか。大きなお世話だ。