アンパンマンがバイキンマンを産みだすかもという不安

反論と言うほどでもないけど、なんか気になったシリーズ。

馬鹿にもなるべくわかりやすく啓蒙してあげると
ニセ科学でヒトは死ぬが、ニセ科学批判でヒトは死なない
となりますにゃ。

ニセ科学でヒトは死ぬ - 地下生活者の手遊び

確かにいまのところニセ科学批判で死んだヒトはいないだろうが、この先もいないと言い切ってもいいものだろうか。


ニセ科学でヒトが死ぬとは言うものの、ヒトを殺すのは「科学」でも同じだ。そもそも科学の進歩を牽引してきたのが戦争であることは、いまさら説明の必要もないように思う。ただ、当たり前だけど、別に科学が悪いわけではない。科学を用いてヒトを殺すのはヒトである。

ニセ科学についても当然同様のことは言えて、どこかにニセ科学なるものが存在して、それがヒトを殺してまわっているわけではなく、それが世の中に流布され、科学的な事実であるかのように誤認され、誤った局面で利用されると、ときとして大きな(機会)損失を招くという話である。そして流布するのも、誤認するのも、謝った局面で利用するのもヒトである。

だからといって科学もニセ科学も一緒だとか言うつもりはまったくない。言いたいことはつまり、何だって悪用または誤用される可能性があり、それがなにかしら危険をもたらす恐れがあるのだから、ニセ科学批判といえど決して例外ではないだろうということである。


世の中に絶対的な正義などない。絶対的な悪に対する批判であれ、それが過剰に絶対視されることでオートポイエーシス的なシステムのように自己増殖をはじめ、批判の対象たる悪を能動的に創造しはじめないとも限らない。アンパンマンはバイキンマンを退治することで正義として君臨しているが、それはつまりバイキンマンがいなければ正義ではないということだ。バイキンマンが悪事を働くことによる恩恵を得ているのは他でもないアンパンマンなのであって、そうであればアンパンマンがバイキンマンに対して経済的なインセンティブを与え出来レースを持ちかけないという保障はどこにもないし、もっといえば自身の正義をより絶対的なものにするために第二第三のバイキンマンを産みだす可能性すらある。

いまは真っ黒なニセ科学を批判することで安全圏にいるニセ科学批判も、もしかしたら今後批判の対象が不足することで批判対象を産みだす必要性に駆られ、少しずつグレーゾーンに進出してくるかもしれない。もしかしたら、ニセ科学批判者によるニセ科学というレッテル張りが科学の進歩を妨げるような局面もあるかもしれない。最近流行の村上春樹風に言えば、ニセ科学批判そのものが『壁』になる可能性である。


こうした不安はほぼ確実に杞憂に終わることだろう。また、こうした不安があることがニセ科学批判者にとって活動の枷になるべきでないことも百も承知だ。そんなことを言い出したら、我々は何も出来ないことになる。

だから私がこの記事の結論として申し上げるのは、そうはいっても不安はあるのだから、ニセ科学批判を批判するヒト全般を役立たずのメタ視点でいい気になってる虫並みの知能の持ち主などと言って乱暴に切り捨てる必然性もないんじゃないのくらいのことである。いや、そう。誰もそんなことは言ってない。引用元の記事がそんなことを主張していないことも知っている。ただ、冒頭に引用した非常に単純化されたテーゼの部分が一人歩きして、誰かがニセ科学批判への絶対視を強めたら嫌だなとなんとなく思ったら、長々と書いてしまったという感じ。