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日本のベンチャー企業に見られる3つの類型

ネタ 社会 企業

ということで、先日のエントリー「木村剛はなぜ暴走したのか」からの流れで、「ヤンキー的なもの」を求めてナンシー関を読んでみたわけである。

ナンシー関は、横浜銀蠅を論じる文脈において、「銀蠅的なものを求める人は、どんな世の中になろうとも必ず一定数いる」と述べ、次のように続けている。

銀蠅なきあと、世の中は無意識のうちに銀蠅の代わりを探していたようにも思える。これは私の個人的見解だが「X」や「BUCK-TICK」などの売れセンヘビメタや、工藤静香の方向性、THE虎舞竜のヒット、一部の素人女にみられる露出狂の域にまで達したボディコン(というよりコスプレ)文化などの根底に、いずれも「銀蠅の魂」が流れているように感じられてしようがないのだ。
現在、不良の傾向は「ツッパリ・ヤンキー」ではなく「チーム」みたいなことになってるみたいだけど、世の中が(意識下で)連帯するのはやはり「ツッパリ」なのだと思う。日本人に愛されるのはやはり真木蔵人(チーマー系)ではなく、的場浩司辰吉丈一郎(ツッパリ系)であることは確かだ。

ザ・ベリー・ベスト・オブ「ナンシー関の小耳にはさもう」100 (朝日文庫)

非常に鋭い指摘ではないだろうか。ここで語らている「銀蠅的なもの」、「銀蠅の魂」を、便宜上「ヤンキー的なもの」として扱うが、さてこの「ヤンキー的なもの」は実にさまざまなかたちで世の中に現れてくる。ナンシー亡き後も、亀田一家や氣志團(DJ OZMA)、そのものズバリのゴクセンなど、世を席捲した「ヤンキー的なもの」は枚挙に暇がない。

一方、ナンシーも指摘する通り、いわゆる暴走族形式の典型的なヤンキーを見ることは今ではあまりなくなってしまった。特に都心では皆無と言っていい。あの集団を突き動かしていた膨大なエネルギーは一体どこに行ってしまったのかと疑問に思っていたところ、ふとあの渋谷〜六本木あたりに生息するベンチャー企業の群れのことを思い出したのである。

ヤンキータイプ

日本のベンチャー企業というのは、多かれ少なかれどこかヤンキー的である。特に渋谷系USEN宇野氏を筆頭にサイバー藤田氏、GMO熊谷氏に共通する、あの「若いときはちょっとヤンチャしてまして」感。たしか誰かの著書に記載があったと思うが、あの辺のメンツはみんな一緒にダイヤルQ2で小遣い稼ぎをしていた仲間で、そこで蓄えた小銭を元手に現在に続く事業を興したという武勇伝があったやに思う。実際、昔はヤンチャだったのだ。

それから、仕事を通じて自己実現みたいなノリ。大企業のエリートに一泡吹かせたがる反骨精神。更に言えば奥菜恵を嫁にもらう派手好きさ。

このあたりの雰囲気というのは、社の隅々まで行き渡っており、まるで金太郎あめのように社員の誰と会っても感じることができる。

また、妙に仲間意識というか連帯感を重んじるキライもある。サイバーエージェントのビジョンには、モロ「チーム・サイバーエージェント」と書いてあったりする*1。あなたね、暴走族じゃないんだから。

もう1世代前だと光通信があるが、ここも凄い。何せ携帯電話とコピー機のトナーを売り続けてはや幾年、気合と根性だけで売りも売ったり年間3,500億円だ。イノベーティブな技術や巨大資本の後ろ盾などなくとも、気合と根性があれば世の中十分にわたっていけるということを示している。

あと、このあたりのメンツに混じった時のドリコムの”舎弟”感も相当凄いと思っている。完全に印象だけどベンチャー企業には歴然とした先輩後輩関係があって、第4世代などと呼ばれるドリコムは要するに末席なのである。

エリートタイプ

で、こうしたヤンキーと対をなす集団がある。

「エリート」。言わずと知れた優等生タイプである。

ヤンキーが感性や根性を重視するのに対し、エリートはロジックやフレームワークなど学習したことを重視する。

ベンチャー企業は大概がヤンキー的で、あまりエリートの雰囲気を感じる企業は少ないが、その中ではマッキンゼー出身の南場女史率いるDeNAがなんとなくエリート的だ。儲かるビジネスで冷静に儲ける小賢しさがある。何かにつけて計算高く、ロジカルにものを考えている印象で、行き当たりばったり感や気合で乗り切る感に乏しい。

携帯の無料ゲームサイトとしては後発のグリーに一旦は捲られるも、地道に客単価を吊り上げ、こっそり抜き返したかと思うと、いつの間にか収益的には倍近い差を付けるなど、やることにいちいちソツがない。以前に自社のプラットフォームにゲームを提供する開発会社に対して、優越的な立場を利用し、他プラットフォームへのゲーム提供をやめるように圧力をかけた問題が報じられた時も、南場女史は「あら、国内にライバルなんていたかしら(証拠はあって?)」という風情でシラを切っており、実に嫌味なエリートという感じであった。

他方、微妙にわからないのが楽天で、三木谷さん自体は興銀出身だし、エリートと言えばエリートなのだろうが、体育会系のイメージが強すぎてイマイチ判別できない。

楽天テナントのサイトの色彩がいちいちデコトラじみているのが若干気になると言えば気になるが、あれはヤンキー趣味というよりはマーケティングの結果という気もする。

大企業系列の社内ベンチャー系も、当然エリートに分類される。ただ、なんとなくエリートの手先という感じだが。

オタクタイプ

ところで、ミクシィはどう考えてもベンチャー企業だが、ヤンキー臭くもなければエリート風でもない。ミクシィを分類するなら、オタクと呼ぶのがもっとも適切だろう。

オタクは、コミュニケーションが不得手な代わりに、特定の専門分野に関しては深い造詣を持つ。ただ、半々の確率でコミュニケーション拙者が単に逃げ場としてオタクであることを選択するから、そういう場合はヤンキーに引け目を感じており、頭が上がらないことが多い。そういう意味ではオタクとヤンキーは同じヒエラルキーを構成している仲間と言える。いわゆるスクールカーストでも、オタクはヤンキーから2〜3枚落ちる下位層に位置する。

ミクシィ絡みで面白かったのは、笠原氏と奥菜恵の熱愛疑惑が報じられたときだ。奥菜恵は言わずと知れたサイバーエージェント藤田氏の前妻で、笠原氏は藤田氏とも親交があった。当時の私は「オイオイ、オタクが先輩(ヤンキー)の元カノを略奪ですか、カネがあると人間違うね!」と一人で勝手に盛り上がっていたが、一瞬で笠原氏から「そのような事実はまったくございません」が放たれ、事態は収束してしまった。一度や二度のIPOで得たあぶく銭程度では覆らない、動物的で本能的な序列の存在を垣間見た気がしたのである。

そんな笠原社長のパーソナリティを反映してか、ミクシィ自体も実に大人しい印象の会社である。ミクシィがM&Aをしたことがあっただろうか。私の記憶する限りはただの1件もない。IPOで調達した資金も何に使うでもなくタンス預金で、粛々と日記コミュニティサイトと人材紹介のサイトを運営している。極めて地道。真面目。目立たない。

ミクシィ以外では、ライブドアも結構オタクだったと思う。まあ、堀江氏の、オンザエッヂが上場した当時の金八先生みたいなへアスタイルを見て、堀江氏自体がオタクであることを否定する人はいないと思うが。ライブドアは、M&Aなどを担うファイナンス部門だけがヤンキー的だったんじゃないだろうか。オタクがヤンキーを従えて、道路を蛇行しながらテレビ局などのスーパーエリートに喧嘩を売っていたわけだ。そりゃ逮捕もされるというものである。逮捕というか補導だな、あれは。

一応のまとめ

以上、完全に印象だけで話を進めてきたので何の自信もないが、日本のベンチャー界にはエリートとヤンキーとオタクという3種類の企業があると言える。

3つのうちで一番数が多いのがヤンキーなわけだが、これは考えてみれば当然のことだ。我が国では、エリートコースという言葉の意味するところがそれ即ち大企業での出世であるから、ベンチャー企業に集まる人材は必然的に非エリートが中心となる。「ヤンキー的なもの」は非エリートが自らをアイデンティファイするための最適な価値観なのだ。

元暴走族のヘッド矢島金太郎が、熱いハートや筋の通った考え方などといったわけのわからない力を操ってエリートサラリーマン共を蹴散らし、出世街道をばく進する様にカタルシスを覚えるのは、読み手が非エリートだからである。

我が国の学歴社会ぶりは世界でも有数で、数年の受験戦争が人生の大半を左右する。そこでの落伍者が「学校では教えてくれない大事なこと」を求めてヤンキー道を進むのはある種の必然であり、社会全体として見ても必要なガス抜きなのである。

「ヤンキー的なもの」とはつまり、「エリート的なもの」に対するアンチテーゼである。ヤンキーが「粗暴だけどほんとは優しい」とか、「ワルだけどカワイイ(ファンシーな)とこもある」などといった二面性を重視するのはこのためだろう。上で述べた通りだ。学習することでエリートに敵わなかったヤンキーたちは、容姿を筆頭に、気合や根性や熱いハート、人としての筋など、なんとなくより本質的な感じがするもので勝負したがるのである。

オタクは元来能力が特定の方面に特化した天才タイプを指すが、近年インターネットの普及によって概念としての「オタク」が一般化したことに伴い、エリートにもヤンキーにも成りきれなかったいじめられっ子タイプが大量に「オタク」に流入し、玉石混交を極めた。よってオタクの大半はヤンキーの手先に過ぎないが、マレに天才タイプがいるという状況になっている。

読者の皆様におかれましては、もしベンチャー企業への投資を考えるようなことがあれば、大部分を占めるヤンキー系企業(手先としてのオタクを含む)は捨て置いて、極マレに混じっているエリートタイプか天才型の純オタクタイプを探すと良いだろう。

参考

ナンシー関は有名なので知ってる人も多いかもしれないが、同著はどうでもいいけど言われてみれば確かにそうだよねという考察で溢れている。どうでもいいついでに似たようなものを並べて、上記のようなエントリーを書くこともできるという優れものである。

*1:それ以外にも「ライブドア事件を忘れるな」というのは果たしてビジョンとしてどうなのというのもある。