木村剛はなぜ暴走したのか
「凋落 木村剛と大島健伸」は、少し前に世間を騒がせた振興銀行とSFCG(旧商工ファンド)という二つの経済事件に関するノンフィクションである。同著は、木村剛と大島健伸というまったく出自の異なる二人の経営者の運命が交錯しそして同様に破滅へと向かう様を、綿密な取材に基づき克明に書き綴ったものだが、ひとつのテーマとして「なぜ政府のブレーンまで務めた当代きっての金融エリートが、誰の目にも明らかに異常な資金還流工作や経理操作に走り、そして、自滅したのか」という疑問が呈される。同著の著者は、この疑問について木村剛は自らのレピュテーション(評判)を守りたかっただけではないかと結論付けているが、もう少し違った捉え方もできるのではないかと思い、このエントリーを書いている。
木村剛の暴走
なぜ木村剛が暴走したのかを考える前に、まずはどのように暴走したのかを振り返っておこう。
木村剛は、東京大学経済学部卒業後、日本銀行に入行し自らのキャリアをスタートさせている。その後35歳で日本銀行を退職すると、世界の四大会計事務所のひとつKPMGが日本に設立した金融コンサルティング会社「KPMGフィナンシャル」の代表に就任。小泉純一郎政権当時、経済財政政策担当大臣であった竹中平蔵から僅か5名の各界における有識者から成る「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」に大抜擢されると、中心的な立場を担い金融再生プログラムをまとめ上げ、りそな銀行の実質国有化を筆頭に銀行の不良債権処理を劇的に進行させるなど多大な成果を残し、名声を手にした。
ところが、その後落合伸治という、最終的には「暴力団から命を狙われているからあとのことは頼む」とまるで漫画のようなセリフを言い残して突如姿をくらましたとされる怪しい人物にたらしこまれて、日本振興銀行の設立に関与し始めたあたりから徐々に様子がおかしくなりはじめる。あれよという間に振興銀行内で独裁的な立場を確立すると、「ミドルリスク・ミドルリターン」というなんとも言えない微妙な標榜を掲げ、既存の銀行が扱わないような高リスクの中小企業などに資金を融通するという理念のもと、銀行経営をまい進する。
振興銀行のビジネスモデルは、完全にモラル・ハザード型モデルとしか言いようがないものであった。我が国にはペイオフという制度があり、個人の銀行預金はその銀行が破たんしても10百万円までであれば公的に保護されるが、日本振興銀行はこのことを利用し自行の低い信用力を補完する一方、他行よりも高い預金利息を提示することで個人から資金を集めた。個人からすれば10百万円以内に資金を限定すれば、極めて低いリスクで高利で運用できるのだから願ってもない話だが、自らの営業のためにペイオフという制度を活用する振興銀行は、要するにペイオフという制度のフリー・ライダーに他ならない。
こうして広範に預金を募った結果、振興銀行の預金総額は最終的に6,000億円に達したという。困ったのはこの多額の資金の運用先で、預金者に支払う金利を上回る運用益を出さない限り、銀行の経営は立ちいかないことになる。結果、木村剛は上述したミドルリターンを求めて彷徨い、微妙な企業に資金を提供しては自らが起案した金融再生プログラムも忘れて不良債権の山を築き、商工ファンドのゴミ債権をバルクで買い取ったかと思えば二重譲渡の詐欺に遭って多額の損失を計上し、挙句にはビービーネットやインデックスといったITバブルの燃えカスのようないわゆる怪しい系ベンチャーを次々と傘下に収めて中小企業振興ネットワークという謎の組織を構築、同ネットワーク内で資金を還流させたり不良債権の飛ばしを行ったりとやりたい放題だったところを金融庁に刺され、終には逮捕されるに至った。
振興銀行の経営をはじめた以降における木村剛の転落ぶりは確かに凄まじく、一体どうしてしまったのという疑問は確かに頭をよぎるものではある。
木村剛はヤンキーである
木村剛はなぜ暴走したのか。そのヒントは同著でしばしば語られる木村剛の素行にあるような気がする。以下、いくつか引用する。
ただ、木村が同期のなかで一頭地を抜くほどの存在だったかというと、そうでもないと指摘する声がある。たとえば、日銀入行後、キャリア組は海外留学を一度は経験するが、木村の留学先はイギリスのハル大学という日本ではあまり知名度のない大学だった。前出の日銀OBは「お情け留学だった」と話すほどだ。行動派でとにかく馬力のあった木村は後輩から慕われた。ただ、そんな時も「俺はカラオケが上手くて日銀に採用された」などと自身を偽悪的に語ることが多かった。木村は尾崎豊や松山千春の曲をよく歌った。
−凋落 木村剛と大島健伸 P.56
東大卒で日銀入行と言えば一般人の我々からすればスーパー・エリートに間違いないが、木村剛は、そのスーパー・エリートの集団内にあっては必ずしもエリートとまでは言えない存在だったようだ。「カラオケで採用された」という寒いギャグには、エリートであるという自覚は微塵も感じられず、どちらかというと日本銀行に大勢いたであろう”真のエリート”に対するコンプレックスのようなものすら感じる。木村剛は、同著によれば大学時代は麻雀に没頭していたそうで、私の個人的な経験に照らすと、もしかすると大学の成績もあまり振るわなかったタイプだったのかもしれない。
日銀は公家タイプの職員が大半を占める。政治にまみれ、剛胆さを求められる旧大蔵省とは対照的に、職員は大人しく、時に政治オンチとも揶揄される。そうしたなか、木村と福井*1は平均的な日銀マンなら眉をひそめるような場に出向いていく度胸があったという点でも共通していた。
その一つが、「B&Bの会」とその流れを汲む経営者の集まりだった。
−凋落 木村剛と大島健伸 P.52
この「B&Bの会」というのは、後の「ベンチャー協議会」である。「ベンチャー協議会」といえば、株価操縦で有名なキャッツや、暴力団との親密な関係で有名なアイ・シー・エフ、100億円に迫る額の巨額横領事件で有名なジャック、覚せい剤で有名なダイナシティ、インサイダーや仕手取引で有名なジェイブリッジなど、数々の有名ベンチャー企業を世に輩出したアグレッシブな経営者の集いだが、木村剛は日本銀行時代からこうした集いに顔を出していたのだそうだ。参加していた面子の濃さを考えると、普通の人にとってはシーベルト値が高すぎて健康被害を受ける可能性すらあるが、木村剛がこうした場に普通に出入りできていたとすると、そもそもそういう素質があったのではないかと疑わざるを得ない。少なくとも、一般的に我々が抱く「日銀マン」のイメージとはまったくかけ離れた人物像を垣間見ることができる。
東大時代に数々の懸賞論文に応募していたという木村はニューヨーク赴任のすこし前から「織坂濠」との筆名で専門誌に寄稿を始め、1994年にはジャーナリストの財部誠一と共同で不良債権問題に関する最初の著作も出している。織坂の姓は織田信長と坂本竜馬から一文字ずつとったとされる。ともに時代の変わり目に登場し、旧弊を打ち破ることで、歴史を前進させた変革者である。織坂との筆名は、その頃から木村に芽生えていた志向を如実に物語っている。
凋落 木村剛と大島健伸 P.57
まさかの織田信長と坂本龍馬である。別に悪いとは言わないが、チョイスがまるで中学生のようだ。普通の大人は自らを織田信長や坂本龍馬に準えるようなマネは恥ずかしくてできないものだが、そんな人物を二名とも採用してしまうというのだから並の感覚ではない。別に同じコンセプトで「坂田濠」にすることもできただろうに、それを敢えて「織坂濠」にするあたりのファンシーなセンスは、最近たまに話題になる自分の子供に「悪魔」だの「天使」だの「騎士」だのと過剰に個性的な名前を付けたがる親のセンスに通じるものがあるような気がする。
スモークがたかれ、レーザー光線が照らすなか、理事長の木村剛が壇上に現れると、パワーポイントを時折使っての基調講演が始まった。「大志共鳴」「切磋琢磨」「互恵互栄」「唯一生き残るのは変化できる者である」 一時間半に及ぶそのなかで、木村は教育や研修、雇用をその年の重点分野に挙げ、大学の買収も臭わすなど、相変わらず遠大な構想を一人熱く語り続けた。(中略)
そして最後はいつものようにアメリカのオバマ大統領に倣って会場全体で気勢を上げた。「イエス!」壇上の木村がそう叫ぶと、それに続けて全員が唱和した。「ウィ・キャン!」 それを三回繰り返すのである。
凋落 木村剛と大島健伸 P.236
このセンスである。上記引用部では途中を省いたが、省略した部分ではアントニオ猪木が成績優秀者にビンタをするというベタな余興や、お笑い芸人を司会に据えてのクイズ大会の様子が語られていた。この全編を通じて散りばめられた凄まじい量のバッド・センスは、かつてナンシー関が提唱したヤンキーの美学と完全に一致する。上のイベント、実は氣志團のライブイベントですと言われても何の違和感もない。「イエス・ウィ・キャン」、オバマ大統領に倣ってというか、ただのパクリである。
これは、急速に拡大したネットワークに自らの尊厳を重ねることで陶酔した結果などではない。こんなに完成度の高い”外した”感じのバッド・センスを、人は一朝一夕で身につけられるものではない。考えられる可能性はただひとつで、木村剛のセンスはもともとこういうものだったということだ。
「カラオケで日銀に採用された」という露悪的なギャグを飛ばしつつ、怪しい会合にも積極的に顔を出し、織田信長と坂本龍馬を自身に重ね、スモークとレーザー光線のなかで四字熟語を連呼するような人を、普通”エリート”とは呼ばない。これは完全に”ヤンキー”である。
ヤンキーが暴走することに理由(ワケ)なんてない
木村剛はなぜ暴走したのか。木村剛をエリートとして捉えるからわからなくなるが、見てきたとおり木村剛という人物は学歴こそ高いものの、その精神的支柱は明らかにヤンキーである。そして、ヤンキーが「暴走」するのは極めて自然なことだ。放っておいても勝手に盗んだバイクで走りだすわけである。
ちなみに、大島健伸の方は会社の経営が傾くや否や自らの報酬を10倍にも吊り上げて資産の保全を図るなど、身体のどこを切り取っても私利私欲というタイプで、木村剛とは俄かにタイプが異なる。木村剛がヤンキー的なら大島健伸はチーマー的で、いわゆる辰吉丈一郎と真木蔵人の違いのような差があるように思う。
と、ここまで書いたところで、そもそも「日本のベンチャー」の大部分は「ヤンキー的なもの」で構成されているのではないかという画期的な仮説に思い至ったが、長くなったのでその話はまた今度にしたい。
参考
冒頭で紹介した通り綿密な取材に基づいて書かれたノンフィクションで、木村剛と大島健伸という人物の人となりをかなり具体的にイメージでき、将来は両名のようになりたいという人にも、なりたくないという人にもお勧めできる。
複数のサブカル系(?)知識人がヤンキーについて語るというもの。人によっては単なる不良文化の紹介というか、いわゆる”あるあるネタ”になってしまっているが、やはり多くの日本人が内に秘めているというヤンキー的な美学に対する憧れのようなものにスポットライトをあてたナンシー関の分析は鋭く、それに基づいた論考には読みでがある。私自身はそうしたヤンキー的なものに心惹かれることはあまりない方だが、確かにそういうのが好きな人は良く見る気がする。