ただのサヨクとただのウヨクと

一昨日昨日と続く三部作(笑)*1の完結編にあたるとか。あたらないとか。

■ただのサヨク

理想を描き、それを語ることにオリエンテッドな人たち。彼らにとって現実とは、理想を語るための題材でしかない。うっかり実現可能性などの尺度で彼らの理想にケチをつけると、決して交わらない議論が巻き起こったりする。場合によってはお腹を壊す恐れも。

用例:「ただのサヨクは現実の話に首を突っ込むな。」


■ただのウヨク

今あるものの強度をどんどん高めていくことにオリエンテッドな人たち。現実がすべてで、弱者と言う結果に冷淡。資本主義とか大好きで、口癖は「お前らだって資本主義の恩恵を受けているんだ。」とか。マッチョ病と併発すると厄介。

用例:「ただのウヨクだから未来の話なんかしない。」


この図式の盲点はたぶん「可能性」。
はてブのタグとかにもどうぞ。


■追記
と、書くとふざけてるように思われそうなので、念のため真面目に言い直すと、現実を絶対化する視点がいわゆる右翼的なものだとすれば、いわゆる左翼的な視点とは、現実を相対化することを絶対化するものだということになろうか。

そして、いずれの視点においても、「可能性」や「不確実性」及びそれらを貨幣的な尺度から定量化した「リスク」という観念が盲点となっている。


リスクについては、こちらも参照されたい。
1997年―世界を変えた金融危機 - 池田信夫 blog(旧館)
この本は買ったけどまだ読んでない。

リスク―神々への反逆

リスク―神々への反逆


■追記2
私の立場について若干補足すると、私は資本主義社会の根本的な弊害を認識しつつ、またはだからこそ、社会がそれを是正する方向に「既に動いていること」を確信している。社会は常に変化して然るべきだからだ。そして、その動きのなかで自分が何ができるか、どういった利害が生じ得るかに関心がある。

*1:[http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20081031/1225414006:title=HELLOWEENのエントリー]は三部作の伏線(守護神伝)だったのだ。(嘘)