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ざっくり理解するデフレ議論

経済

民主党が政権をとったことに関連して、これを機に自らの影響力を政府にも広げて行きたいと目論む野心家の諸兄を中心に、日本経済の行く末に関する議論がにわかに活発化しているので、自分の理解しているところをざっくりとまとめてみた。

デフレの理由

さて、日本は何故かくも長きに渡ってデフレなのか。

そもそもデフレとは何かと言うと、wikipediaにもあるとおり「物価が持続的に下落していく経済現象を指す」わけだが、では何故そんなことが起こるかといえば、それは供給に対して需要が不足し、物が余ってしまっているからである。誰でも感覚的に理解できると思うが、基本的に余り物は値下げしないと売れない。つまり、デフレの本質的な原因のひとつは、需要不足だということだ。

投資の非効率化と需要の不足

需要が不足しているということの原因としては、日本の人口は右肩下がりの局面に入っておりそもそもの頭数が減っているからだ(もしくは減っていくことが確実だからだ)ということも当然考えられるが、むしろ、より深刻な原因として、国内で生産された財やサービスが消費者にとって陳腐なものであり、需要をまったく喚起してないということがあげられる。

例えば、ある企業が冷蔵庫の消費電力を2割削減することに成功したとする。消費者にとっては確かに朗報だし、もしかしたら技術的にも革新的なのかもしれない。省エネ大賞なりをアピールするTVコマーシャルなどを放映すれば他の冷蔵庫に対しては優位性を確保できるかもしれない。しかしながら、残念なことに冷蔵庫は既に大勢の人が保有しているものだから、いくらその製品が企業に利益をもたらしたとしても、新たな需要を創造したとは言えないだろう。

他方、ある企業はインターネットでの広告配信システムを構築した。そのシステムを使えば、自分が運営するメディアを持っている人はアクセス数等に応じて広告収入を得ることが出来、商売をしている人は非常に安いコストと少ないリスクで、自身が提供する製品やサービスの告知を行うことができる。これにより、それまで大手広告代理店支配下にあては見向きもにされなかったような小さな広告媒体や小さな広告主が新たに誕生し、新しいマーケットをつくった。これは需要の創造に成功したと言える。

上で例示した2つの企業のうち、どちらの企業に投資したほうが投資効率が良いかと言えば、考えるまでもなく後者である。ドラッカーは、企業の目的とは需要を創造することだと言った*1。そうした新しい需要を創造するような新しい産業に対して投資を行っていくことが、結果として需要を拡大させることにつながる。

ところが、近年の日本を振り返ったとき、そうした産業の育成に力を注いできた形跡は見られない。産業界の主役はいつまでたっても昔ながらの製造業で、政治と癒着したそれらの企業群は、自らの利益を脅かす破壊的イノベーションの芽を摘むことに必死だ。景気対策と称して行われる政府による投資(公共事業)は、特定財源などの本末転倒した理屈を盾に、いつまでたってもダムや道路といった今となってはすっかり非効率となった分野に向けられている。

これでは、デフレにならないほうがおかしい。

日本の経済モデル

上記のような惨状の根本的な原因は、55年体制と呼ばれる自民党による1党独裁政権と、計画経済モデルにあると考えられる。

まず55年体制とは、「日本において自由民主党と日本社会党が二大政党として君臨し、政治を行っていた体制」を指し、「1955年にこの構図が成立したためこう呼ばれる」。1955年以後自民党は政権与党としてあり続け、まるで独裁政権とでも言うべき状況が続いた。

次に計画経済とは、「経済の資源配分を市場の価格調整メカニズムに任せるのではなく、国家によって物財バランスに基づいて計画的に配分する体制」のことで、「対立概念は市場経済」である。日本の個人金融資産は約1400兆円と言われるが、そのうち実に8割強が、銀行・郵貯・保険などの間接金融に流れている。株式・債券などの直接金融は2割に満たない。比較のためアメリカの状況を述べると、間接金融は4割足らず。直接金融がなんと6割だ。*2では、日本の金融機関は1000兆円を超える預かり資産を何で運用しているかと言うと、ほとんどが国債である。日本国債はほとんど国内で保有されていることで有名だが、その発行残高は現在800兆円を超えている

つまり、日本という国では、国民が保有する資産のうちかなりの部分が、国が行う公共事業に対しての投資にまわされている。公共事業とは何かと言えば、日に何台しか車が通らない高速道路や橋梁など、確かに必要なのかもしれないがどう考えても採算は合わないインフラ敷設に他ならないわけで、そりゃ金利も低いはずである。こうした状況を揶揄して、日本は世界で一番発展した計画経済国家だと言われているわけである。


55年体制が蝕んだのは、政治家の合理的判断であった。どこの組織でもそうだが、組織は長年にわたって硬直すると、風通しが悪くなり、不正が蔓延り、膿がたまって、最後は腐る。より具体的に言えば、ありとあらゆる政治権力が既存の利権を維持する方向に働き、将来的な合理性がまったく犠牲になってしまったということだろう。

そして計画経済によって失われたのは、イノベーションの機会だ。アタリマエのことだが、イノベーションを計画的に起こすというのは不可能だ。工学は万能ではない。成功者はいつも、ただの運を実力と思いたいがために(または勘違いしているがために)後付の理屈をつけては偉そうに騙るものだが、ナシーム・ニコラス・タレブが言うように、成功とはつねに"まぐれ"なのであって*3、将来を予見する能力は人間には備わっていない。

よって、イノベーションの機会を得るためには、非常に高い事業リスクを取る必要がある。つまり、ほとんどすべての取り組みは失敗する。こうしたリスクはあまりに不確実すぎて、まともに考えれば考えるほど割りのに合わないものだから、合議制を重視した意思決定を行う組織には向かない。強いリーダシップのもとで、ある意味直感的に選択される必要がある。政府のような巨大でかつ官僚を中心とした組織には最も縁遠いものであり、政府が主導する計画経済の下でイノベーションが阻害されるのは当然のことだ。

デフレ脱却に向けて

今般の衆院選をもって、民主党が単独で過半数の議席を確保したことで、55年体制は完全に崩壊し、また政権与党となった民主党は計画経済の官僚主導政治からの脱却を掲げている。民主党が強いリーダーシップを発揮して、官僚から政策的な主導権を取り戻せるなら、それは日本経済にとって大きな前進だろう。つまり、長期低迷の原因は徐々に取り除かれつつある。今後は効率的な投資先としての新しい産業が生まれるような環境を徐々に整えていく必要があるだろう。

この段階にあっては、当然のごとく次のような議論がある。新しい産業を牽引する役割を政府が担うのか、それとも市場が担うのか、である。政府が担うべきとする人は、例えば高齢化問題(介護)や環境問題、エネルギー問題などの公共性が高く、ある程度需要が顕在化している分野に政府が集中して投資を行うべきと主張することが多いようだ。市場が担うべきとする人は、政府が余計な口を出すとロクなことにならないから、政府は兎に角規制の緩和を推し進め、市場が効率的にはたらくことを後押しすべきだと主張することが多い。

これらの議論は、どちらかが徹底的に間違っているという類のものではない。政府が失敗したのが日本だとすると、市場が失敗したのは米国なのであり、実にどっちもどっちである。米国における市場の失敗がかなりド派手なものだったので、現代の世の中的には市場の失敗の方が高リスクに見積もられているような気がするが、本質的に目糞鼻糞くらいの違いしかない議論だと思う*4

これらはむしろ、交互に入れ替えるようなかっこうで、両方のバランスをとりながら進めていくのが正解と言えば正解ではなかろうか。政府による計画にまかせっきりではやはり新しい産業は育ってはいかず、とりあえず目先の需要不足は何とかなったとしてもいずれメッキがはがれる時がくるだろう。とはいえ、規制緩和だけしてあとは市場に丸投げというやり方も、新しい産業が起こる際の最初の人柱みたいな役を買って出る人がいないし、そもそも目先の不景気がなんともならないから、話がなかなか先にすすまないということが容易に予想される。

きっと、短期的には政府が中心となって必要な投資を行っていくことで経済の下支えをし、同時に規制の緩和も進めることで長期的に見たときに新しい産業が生まれやすい環境を整備して行くのが良いのだろう。政府にばかり資金が集中しては新しい産業など生まれようもないから、個人が貯金することに負のインセンティブをつけて直接金融市場に誘導するなり、銀行の国債保有残高を制限して融資業務を増やさせるなりして、民間にもう少し資金が流れる仕組みをつくっていくことも肝要だ。当然国債を今までのように国内で捌ききるのは難しくなるから、海外で販売することも考える必要があるし、場合によっては日銀に引き受けさせる必要もあるだろう。*5

いずれにせよ、これだけ長期にわたって日本経済に巣食っている病理が簡単に解決されるわけもなく、上に例示したようなものを含め、さまざまな取り組みを並行させて行うことによって、ようやく脱却の活路が見えるか見えないかという話であろうことはざっくり理解できるところだと思う。民主党の鳩山さんは、アメリカのクリントン政権時のような、大きな政府とも小さな政府とも言い切れないある意味日和見的な舵取りを迫られることになるのだと思う。

縮小均衡という最適解

蛇足とは思うものの上記理解に基づき私がどんな日本の将来を思い描いているかという話を最後にしておくが、実はあまりポジティブではなかったり。

上では政権交代がなされたようなことを書いたが、まずこれが微妙だと思う。誰がどう見ても自民党も民主党も等しく「大きな政府」寄りの政策を掲げており、然るに民主党とは単なる自民党の二軍ではないのかという疑いがある。大体、小沢・鳩山・亀井という面子で出てこられて、政権交代しましたとか言われてもまったくピンと来ないというのがマトモな感性ではなどとも思う。

そして「民主党が強いリーダーシップを発揮して」などと書いたが、これも無理だと思う。素人だからだ。一方で官僚はプロだ。素人なりに全部自分たちでもコントロールできるように一からつくりなおしてみますという話であればまだわかるが、素人がプロから主導権を奪うなどと言うことが果たしてできるだろうか。最初はちょっと頑張ってみるものの、間もなく適当に丸め込まれて元の木阿弥というのが確度高いのではなかろうか。

そして、そもそも一番変わりそうにないのが、世論である。日本の世論はどうも、個人が強い力を持ち、特別に目立って活躍することを忌避する傾向にあるように思う。正直なところ、ホリエさんが逮捕されたとき溜飲の下がる思いをした人は多いのではなかろうか。ホリエさんはちょっとやり過ぎたよねなどと、中立を装いつつ単に出る杭は打たれるを言い換えただけの発言をしたことはないか。上で書いたように、こうした雰囲気はイノベーションになじまない。イノベーションに必要なのは高すぎる事業リスクを吸収するほどの強いリーダーシップだからだ。

では日本の状況は何も変わらないと思っているかと言うとそうでもない。円高は避けられないし、政府の借金も限界が近いから、近いうち本格的な資本の海外流出が始まるのではと思っている。そしてその先にあるのは、要するに縮小均衡である。

国内に投資先がないのであれば、海外に向かうしかないと言うのはあまりにも当然の話だ。これにより、国内には今より更にカネが少なくなるから、とてもじゃないが今ほどの人口を養っていくことはできなくなる。金利で食っていけるくらいの資本家は国内に残ることができるだろうが、残りの中産階級などは企業の海外進出のついでに海外に転居することになるのではないか。

これはこれでひとつの最適解かもなどと思う昨今であった。

*1:[asin:4478410232:detail]

*2:以上「[http://www.boj.or.jp/type/exp/seisaku/exphikaku.htm:title]」より。

*3:[asin:4478001227:detail]

*4:個人的には政府よりは市場のほうが幾分マシだと思っている。

*5:ちなみに、政府が担うべきと言う議論はしばしば日銀による大量の紙幣発行及び国債購入とセットで語られるから、一部にはデフレとはすべての問題は単にマネーサプライを増やせば解決できるのだと信じているような人もいるかもしれないので念のため言っておくと、それはさすがに誤りである。いくらカネの供給を増やしたところで、カネの需要が増えるわけではないからだ。具体的にはカネの供給が増えても投資先がなければ、銀行口座に積まれて終わるだけだ。カネは供給するだけでは意味がなく、市中を回るから経済が大きくなる。カネは増やすのではなく、まわすのが大事なのだ。