性差による分業→家庭内の効率分業の次は、家庭外へのアウトソースかなとか

男女平等を家庭に持ちこむのはやめにしないか - 狐の王国』を読んで。

同記事で述べられているのは、おそらく、伝統的には家庭内の分業は性差に基づいてなされていたが、いまや効率を考えると性差は関係ないということだろう。確かに「家事」という特殊な「仕事」を家庭内で分担するにあたって、性差に固執する必然性は特にはないように思える。

そしておそらく今後は、その「仕事」を家庭内にとどめる必然性もないという話になるのかもしれない。


この流れの根本にあるのはつまり生産性を重視する風潮なのであって、そのための効率性こそが議論のポイントであるという議論のように思える。同記事で述べられているのは、「家事」を単純に2分割して、夫婦間で割り振るのが本当に効率的なのかという問いではないか。

これはおそらくごもっともで、同種の作業であれば一箇所にまとめたほうが効率があがるというのはもはや自明に思える。ノウハウは集約させたほうがより効率的だという話だ。

であれば、「家事」という仕事について専業で請け負う組織があれば、各家庭がそこに「家事」という仕事をアウトソースすることで、社会的にはさらに効率的にノウハウを蓄積できるだろう。世の中の仕事の大半が組織によって担われている現状を見れば、この流れは当然のことといえるかもしれない。

現に共働きの一般化に伴い、やむを得ずベビーシッターや保育園、そうでなくても実家の親などのいわば外部の力を活用する例は年々増えていると実感する。


これはつまり、効率を重視するのであれば、専門化と細分化は避けられない流れなのではないかということだ。今後は、家庭というひとつの主体そ維持するために本質的に必要とされる要素、即ち、経済的な自立であったり、住居の維持(外部環境との物理的な差異の確保)といったものだけがクローズアップされ、「家事」はもとより恋愛などの家庭の運営に際して必須とは言えない要素については、家庭外にアウトソースすることこそが美徳であると捉えられる時代はすぐそこかもしれない。

単純な性差による分業が見直されつつあるというだけでは、この流れが明確にあるということを断言するには早計かもしれないが、今後「家事」等を家庭外にアウトソースする流れが加速するのであれば、この流れはまず間違いないものといえよう。