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橋下知事による「ハメ禁止」発言の陳腐さとそれに群がるバカ (追記あり

ニュース ヒト

朝日新聞デジタル:どんなコンテンツをお探しですか?について。

ブクマでも、

意味不明。卑劣?別に畑がなくなっちゃって泣くのは自然。橋下知事はきっとストⅡですぐハメ禁止とか言い出すタイプ。ハメの状況をいかに回避するかというゲームなのに。

と書いたのだが、ちょっと補足。というか100字では言い足りなかったので。


まず、意味不明とは書いたが実は、卑劣と言いたい気持ちはわかる。「芋ほりという、無垢な園児の夢または希望を問答無用で圧殺する図」が報じられて、彼にとっていいことがあるはずがない。彼の唯一の権力基盤である支持率の低下を招くからだ。であれば、「無垢な園児を利用して虐げているのはむしろお前らだ!」などと意味不明でもとりあえず喚き散らして、一応の反論はしておかねばなるまい。うまくマスコミ批判と絡めれば、それなりに効果もあるかもしれない。

しかしながら思うのは、保育園の芋畑を代執行で強制収用したら、園児の涙と結びつけたストーリーはもう120%くらいの確率で報道されるに決まっているだろということだ。そしてその報道による橋下知事におけるダメージがそれなりに大きいということも、考えさえすれば容易にわかることだ。にもかかわらず、現実にそういう報道がなされてからルール違反だなどと、アドホックに反論している様が実に滑稽であると思うのだ。

むかし、ファミコンでストⅡが流行ったが、あのゲームは画面の端に追い詰められるとかなり不利になる。行動範囲が相対的に半分になるからだ。であるから、あのゲームで勝つには1.相手をいかに画面端に追い詰めて、2.追い詰めた相手をいかに詰むかというプロセスを繰り返すことになる。にもかかわらず当時実在したのが、「追い詰め攻撃はハメ行為だ。ハメ禁止。」とか言い出す奴だ。追い詰められてからの攻防は極端に一方が不利なのでフェアじゃないのだそうだ。これがもしゲームの開始時点で一方のプレイヤーだけ画面端から始まったのであれば、それはそもそも機会が不平等なわけで、文句を言う側にも道理はある。しかし「追い詰められた」状況というのは、そのプレイヤーが招いた結果である。結果が平等ではないのは当然だし、勝負事ならなおさらだ。「投げハメ」というのもあった。「投げ」は防御できないからズルいんだそうだ。なんだそりゃ。そういう人にかける言葉はもう「バカ」くらいしか思い当たらない。

そして今回の橋下知事の対応は、この「ハメ禁止」とまったく一緒だ。一方的に不利な状況に追い詰められる前に、先手を打ってこの件で涙を流しておくくらいの器量というか狡猾さが橋下知事には求められると思う。


ところで、あいも変わらずこの件について、「マスゴミが捏造したストーリーだ!」とか「園児を利用するな!」とか見当違いのことで鼻息を荒げるアホがいっぱいいるわけだが、そんなことはどうでもよろしい。

マスコミなんていうのは、要するにただのエンターテイメントなんだから報道の背景としての物語を魅せるのは当たり前だし、園児が利用されたかどうかなんてわかりっこない。

マスコミが魅せる物語が気に入らなかったら、勝手に別の物語を想像して楽しめばいいだけのことであって、そこで怒るっていうのは、「今クールの月9のデキはひどい!けしからん!!楽しみにしてたのに!!!」とわけのわからんクレームを入れるちょっとアレげな人と何も変わらない。

さらに、利用されたかどうかという区別も主観的すぎて議論にも何にもならない。比較的確からしいことと言えば、楽しみにしていた芋ほりができなくなったことにより、悲しみ、ときに涙を流すことは実に自然だという一般的な感覚くらいのものだろう。それを「利用」と言い切ること自体が不自然で、要は単純な利用されたか否かの二項図式による権力批判を「利用」しているに過ぎない。これをネット用語でブーメランと言うらしい*1

こともあろうか、この議論を「園児を利用したのは保育園かマスコミか」とかいうチンカスみたいな議論に発展させようとする原始人も散見されるが、もう少し大脳を使って内容を検討してからメッセージを発信するようにしたほうがいいと思う。脊髄だけでなくて。

橋下知事に同意とか思ってるやつもさらに悲惨で、橋下知事は上述のとおり、自身に関する明確な利害のもとで、被害を最小化するためのプロモーションに打って出てるに過ぎない。なぜそこに、何の利害関係もないクソネットイナゴが共感できてしまうのかさっぱりだ。小市民が権力に迎合してどうする。


などと書くと、じゃあどうするべきなのか(だったのか)、などとアホに突っ込まれそうだが、ああいう類の問題にべきもクソもない。どう考えても利害が一致しないのだから、気がすむまで闘争するしかない。闘争にあたっては、様々な手段がとられるのが自然だ。
ちなみに、第三者たる小市民どもは権力に対しては批判的なスタンスであるべきだ。国家を強化するというのはそういうことだ。


※追記(10/19)
さくらのブログにて、妙に面白い絡まれ方をしているので追記で対応。この絡んでくれた方は、さくらのブログなど、天才的な記事を書く方で、私もたまに楽しく拝見させていただいている。こういう方であればこそ断言できるが、この記事は間違いなくネタにマジレスというタイプのネタなので、私の対応としてはやはりネタにマジレスというネタに対してマジレスすべきと思う。


そういう意味で敢えて言うと、真性引き篭もりの人は、私が上で書いた記事をまったく理解できていない。
真性引き篭もりの人の主張は、真性引き篭もりの人の言葉を借りると、「コアゲーマー」が「カジュアルゲーマー」を見下すという図式を構築したうえで、私の「コアゲーマー」性に疑問を投げかけているが、実は上の記事において、私が「コアゲーマー」かどうかということはまったく主題と関係がない。
何故か。それは橋下知事という「コアゲーマー」であるべき人、または「コアゲーマー」でなくてはならない人こそが話題の中心だからだ。上で例としてあがっている私を含むスト2プレイヤーはヌルければヌルいほどよい。そのヌルさの相似形を橋下知事に見出すことが上の記事の主題なのだ。


実際の私は、統合失調症を患っているかどうかはとりあえず置いておいて、コアゲーマーの端くれくらいのポジションではあると思う。決して上手くはないが、少なくとも格ゲーにおけるフレーム処理の世界観くらいは共有している。例えば鉄拳シリーズは特に贔屓にしているわけだが、自キャラの攻撃やガードされた後の硬直時間のフレーム数くらいは薄々覚えている。開店から閉店までゲーセンに浸かり、帰宅してから家庭用で練習するという廃人生活も経験済みだ。しかし、上で例にあげたスト2に限って言えば、発売当時私は小学生である。どんなにかんばったってたかが知れている。ゲーム雑誌は毎月購読し、キャンセル技の練習には余念はなかったが、その程度だ。

では何故例として鉄拳ではなくスト2を選択したか。私の知っているなかでもっともヌルいゲーマーが、小学校時代の自分たちだったからだ。小学生くらいの真性ヌルゲーマーがキャッキャワイワイ格ゲーをやっている中で、負け惜しみとしてつい飛び出してしまう言葉、くらいのニュアンスを「ハメ禁止」という単語に関連付けたかったわけだ。


一方橋下なんとかという方は、言わずもがな大阪府知事という大役に立たれる方であって、見まごう事なき政治家である。政治家という職業はつまり、選挙権者の信託によって、権力の管理及び行使をする職業だ。そして権力とはつまり暴力である。権力は公共の福祉の名の下に人権を奪うこともあれば、税金として富めるものから収奪を行ったりする。であるからこそ、権力者は我々とはまったくレベルの異なる職業的倫理観を持たなければならない。つまり、政治というゲームの勝者は常にプロフェッショナルでならなくてはならず、そのためには政治というゲームはシビアでなくてはならない。スト2のようにプレイヤーが任意のルールでバランス調整できるような娯楽であってはならないのだ。

そういうゲームに全力で参加している人が、特に今回の件のようなバリバリの政治闘争のケのある案件で、小学生の負け惜しみのような陳腐な発言をしていては、ゲームの勝者にはなれないよ、というのが上の記事の趣旨である。

*1:[http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20081005/1223211220:title:bookmark]