バチェラーは森友学園の夢を見るか

実に久しぶりにこのブログをひらいた。Jリーグを観始めてFC東京のSOCIOになったり、会社を辞めたり、会社をつくったり、ベンチャー企業に参加したりしてたらすっかり時間が経ってしまった。なんと3年半。矢のごとし。

今日、そんなに久しぶりになぜ更新しようかと思ったかと言えば、これがまた本当に大した話じゃないのだけど、バチェラー・ジャパンである。バチェラー・ジャパン。知ってますか?
https://www.amazon.co.jp/dp/B01N6POVWZ/

いや、なんかFacebookで、今度そのバチェラー・ジャパンに知人が出るのだと騒いでいる人(私の友人だが)がいて、はあそうですかと見始めたわけであるが、いまやすっかり週末の楽しみになってしまった。金曜の夜、酒も飲まずに早々と帰宅し、ひとりタブレットを覗き込む。

で、観ていると、これがどうしても何か語りたくなる。というか、うっかりはまってしまっていることの言い訳を誰かに聞いてもらわずにはいられなくなる。これはバチェラーがどうのというより自分の性分だろう。理由づけ中毒だ。ただ、自分がこの手の言い訳をすると、そこそこ長くなる。リアルで語るとまず間違いなく途中で飽きられるし、それでもなお語り続けたならば漏れなくキチガイだと思われだろう。然るに、またこの場所に戻ってきたというわけだ。はてな。人間が持つ、社会ではおおっぴらにできない面だけが集まる場所。掃き溜めか。


話がそれたが、少し説明しよう。
バチェラー。たった1人の理想の男性が、多数の女性の中から最高のパートナーを選び、1人にプロポーズをするという究極の恋愛番組。このまったく新しい仕組みが数々のドラマを生み、現在全世界30か国でエピソードが製作されている。「バチェラー(bachelor)」とは独身男性という意味であり、今作では、真の愛を見つけ出すチャンスを得た、ある一人の幸運な独身男性バチェラー久保裕丈が、25人の女性たちと様々なデートを繰り返しながら、運命の相手となる最後の1人の女性を選び出していく。時に残酷な恋愛サバイバルをリアルにお伝えする究極の恋愛リアリティ番組だ。コピペだが。


何が面白いかというと、3つあると思っている。いや、まだ最後まで終わったわけじゃない。今のところ3つだ。

最初は、この久保という男。いわゆるバチェラーである。25人もの女性を侍らせて「うーん、誰にしようか迷っちゃうなー」とやる。いけ好かない野郎である。このいけ好かない野郎が実に好青年なのだ。好青年さがいけ好かなさに拍車をかけ、積もり積もったいけ好かなさが快感に変わるまでそう時間はかからない。

聞くにこの野郎、30代は半ばで、顔は俳優かっていうレベルのイケメンなんだが、東大を出て、ベンチャー企業か何かつくって、売って、二桁億円ゲットして、コンサルか何かしながら気ままに暮らしているらしい。趣味はキックボクシングですって、なんだそれ。うまく行きすぎだろ人生。なんだったんだよおれの人生は。それで何だその気取らなさ。爽やかに笑うな。女性を上手にエスコートするな。もうちょっと気取れ。このクソイケメン野郎め。と、なる。最初はそれが楽しい。


次第に、女性の側に興味が移る。
この25人の女性陣、どこからどう観てもただのプロなんである。タレントとか、女優のたまごとか。どう考えてもお仕事だろみたいな。バチェラーどうでもいいだろ的な。最初はそう見える。

ところが、その女性たちの競争が次第に熱を帯びてくる。他の女性がバチェラーとツーショットで喋っていると邪魔をしたりしだす。自分はどうやって気を引こうかと作戦を練ったりも。おいおい。ちょっとちょっと。君たち。別に昨日まで知りもしなかっただろう、そんな男。となる。

それはまるで、スタンフォード監獄実験だ。看守の絶対的な権力を目の当たりにし囚人になりきってしまった被験者たちのように、さあバチェラーを奪い合いなさいとひとつのかごに入れられた女性たちは、自分の社会的な立場も本当の気持ちさえも忘れて、与えられたロールに入りきってしまう。バチェラーがどうのというより、競争に掻き立てられるのだろうか。うまくアピールができないといって泣き出したりする。おそろしいおそろしい。


で、いま一番おもしろいのが、結局マヌケなのは男だという点だったりする。
最初は、当然男の方が立場が上である。なんたって、絶対的な権力を持っている。男に気に入られない女は、「バラ」をもらうことができず、「脱落」の憂き目にあう。そういうルールだ。だから、女は必死で男にしがみつくしかない。ライバルは20人以上も居て、アピールできる時間は限られている。なかなかのクソゲーである。恋愛の要素はほぼない。スマブラだ、どちらかというと。スマブラは面白いが、大乱闘なのである。要するに。

それが、だんだん人数も少なくなってくると、いま7話の段階で6人まで減ってるのだけど、そうするとかなり恋愛の要素が出てくる。で、恋愛の要素が出てくると、男のマヌケさが際立つのだ。実に。男ってやつは、である。男ってやつは、結局ただ単に自分に対する好意を積極的に伝えてくれる女性を選んでしまうのだ。いや、気持ちはわかる。かくいう私も、大学生時分には「自分のことを好きじゃない女なんて好きじゃない」というガチ名言を残している。なので気持ちはわかるんだけど、女性が示す好意なんていうものは世の中で一番信用ならないものだろう。

突然藤沢数希さんみたいなことをいうけど、恋愛というのは取引である。女性は慈愛を恵み、男性は力を誇示する。両者がバランスすればトランザクションが成立する。そういう取引だ。お互いが欲しているものは実は「永遠」なのだけど、取引は一瞬である。対して、結婚は違う。こちらは持続である。フローと、ストックである。恋愛の取引で永遠にみえたものは実は儚く、持続的な結婚生活の礎には適さない。永遠につづくものっていうのは、もっと現実に立脚したものである。思い出とか。

そんなことを考えていると、だんだんと老練たるラブ・エキスパートみたいな気分になってきて、気づけば画面に向かって「若さか」とか言ってる。若いなー、久保くんと。そう。これである。さっきまであの野郎とか呼んでいたのに、久保くんだ。すっかり仲良くなって。この心境の変化があるから、なんだかだんだん自分も参加しているような気になってきて、あまり退屈しないというのはあるだろう。まあ、最初だけかもしれないが。


バチェラー・ジャパンというコンテンツの魅力についてはもう十二分に伝わったと思うので、最後にもし自分がこのバチェラーの立場になったらどのように女性を選ぶことが正解なのかという点を考察して本稿を結びたいと思う。リアル社会での獣道セオリーとしてはおそらく「全員やっとく」でしかないのだろうが、当然それはできない。バチェラーの権力というのは、実は、たった一人を選ぶというルールに立脚している。かといって、純粋に自分への好意でフルイにかけようとすると、変なおっさんからディスプレイ越しにDISられたりもする。なかなか難しい立場だ。追い詰められているのだ。バチェラーは。

フルイにかけるのは、現実的ではないだろう。女性の「本心」を扱うには期限が短すぎる。生涯の伴侶を見つけ出せる可能性があるとすると、おそらく「決め打ち」ではないか。とりあえずもう選んじゃう。写真で。選んで、積極的にいってみる。たぶんそうするとちょっとしつこいとか言って引かれたりもすると思うんだけど、そのときはスキャンダルを捏造して相手をもっと困らせてみよう。籠池か。無理矢理だな。ということで、観た人はコメントください。また来週。