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スタバで注文前に席を取らない方がいいいくつかの理由

金融 ネタ

タイトルにはスタバと書いたのだが別にスタバである必然性はなく、実はタリーズでもエクセルシオールでも何でもいい。ただ、少し一般化して喫茶店と書くと、それこそ兜町にあるようなトラディショナルなやつが大量に含まれる気がするし、カフェと書くとハウスミュージックがかかるなかでホットワインを飲むみたいな変なお洒落スポットが混入してくる気がしてイマイチしっくり来なかったので、いっそのこと固有名詞にした。そういうわけで以降もスタバとは書くが、要するにカウンターのような所で商品を注文して、受け取った商品は自分で席まで運んで飲食するスタイルの店全般を指す概念として利用するので、そのつもりで適当に読んでいただきたい。

2種類の客

スタバには、2種類の客がいる。注文を済ませてから席に着く客と、注文する前に席を取る客だ。

私の知るほとんどのスタバは、入るとまず注文カウンターがあって、座席があるのはその奥であったり別のフロアであったりするから、店が意識している動線としては、きっと注文⇒座席なのだろう。

ところが、スタバに入るや否や、店側の設計は一切無視、注文カウンターには目もくれず、まるで自分の家かというような勢いで店内部に潜り込み、空いてる座席にドッカと荷物を置いて「はい、ここは私の席ですよ」とマーキングを済ませ、そうしてからようやく、注文カウンターまで戻ってきて注文をする人たちがいる。事前に席を取る理由は明らかだ。コーヒーを買ったのに席がない状況を避けたいのだろう。

かくいう私は、なんの因果か知らないがその行動パターンには馴染めないでいる。従って、真面目に(予想される)店の意図を汲んで、注文してから席を探している。

だがしかし、である。

あのノロマな店員が「アイストールノーアイスエキストラミルクラテー」みたいな訳のわからない呪文を叫びながらエスプレッソマシーンのスイッチを押しているのを眺めている間に、いま店に入ってきたばかりの新参者たちが私の背後をすり抜け、私が座るはずだった席に荷物を置きに行く気配を感じると、やはり実際問題としてヤキモキせざるを得ないのだ。

そんなに言うのなら自分も事前に席を取ればいいではないかとお思いだろう。

まったくその通りだ。

ところが、それは嫌なのだ。理由はない。あえて言うならばポリシーに反するということだろうか。むかしあるサヨクの人が言っていたが、本当に大事なことには理由などあってはならないのである。理由があるということは、ロジカルに覆される危険性があるということだからだ。そんな不安定な場所に、自己の同一性を担保するようなプリミティブな感情やポリシーの類を置いてはならない。とにかく嫌だと、嫌だ嫌だと、そうして駄々をこねる姿勢だけが唯一、「もう本当にしようがないわね」という相手の譲歩を引き出すのだ。ただ、相手にとってどうでもいい話であるときに限る気はするが。

ということで、問題の発端は特に意味のない私の個人的な拘りであるため、他人様にその負担を押し付けようというのもお門違いであるというのは理解する一方、やはりヤキモキするものはヤキモキするから、ここはひとつ押し付けがましくならない範囲で、不毛な水掛け論を回避しながら、注文前に席を取る行動をたしなめるための屁理屈をこねてみようというのが本エントリの趣旨である。

悪しからずご了承ください。

全体最適思考との矛盾

注文前に席を取るという行動は、極めて部分最適的である。

なぜならば、席を占有する時間が長くなるからだ。注文してから席に着く人が座席を占有する時間は基本的にお茶をすすってる間だけだが、先に席を取ることによって、そこに注文に要する時間が上乗せされることになる。

顧客一人あたりが座席を占有する時間が増えるということは、回転率が悪化するということを意味する。店はそれによって売上を下げるし、顧客も利用したい時に座席が開いている確率が減ることになるだろう。これは、両者にとって不利益な結果だ。

つまり、注文前に席を取ると、そのときは安心できるかもしれないが、長期的には席を確保できる確率が減ることにつながる。あなたが席を取るから、他の人も席を取らなくてはならなくなって、結果的にあなたの席はなくなるのだ。なんという悪循環だろうか。情けは人のためならず。さっさと飲むものを飲んで、ぱっぱと立ち去ることが、結局は巡り巡って自分の利益にもつながるということなのだ。

さあみなさん、是非明日から注文前に席を取るのは止めようと言いたいところではあるが、現実問題としては、全体最適は短期的には自己犠牲を伴う難しい意思決定である。ハーバードでMBAくらいの意識の高い学生でないと難しいだろう。

あなたが席を取ることをやめたとしても、他の人にそれを強制することはできない。であれば、率先して席取りをやめることで、あなたは他人に出し抜かれるリスクを負うことになる。そう、これはチキンレースなのだ。

だから、全ての人に対して、全体最適の視点を理由に注文前に席を取ることをやめろとまでは、私は言えない。ただ少なくとも、はてなあたりで全体最適がああだとかマクロ経済がこうだとかいいながら政治家や日銀DISに余念がないネット弁慶の諸賢には、是非とも注文前の席取りは控えていただきたいと思う次第なのである。

オプション料の搾取

次のテーマに移ろう。

注文前に席を取るという行動は、実はある種のオプション取引である。

席を取った人は、予め確保した座席について、注文を終えたあとに、そこに座るかどうかの選択権(=オプション)を持つことになる。注文後に戻ってきてみて、他にもっと良い席が空いていればそちらに移ればいいし、なければ確保していた席に座ればいい。突然気が変わって今日は公園で飲もうという気分になれば、そうしてもいい。すべては自分の都合で、勝手に決めて良いのだ。

通常、オプションには価値があると考える。例えば、ある会社の株式を、時価にかかわらず100円で購入することができるオプションについて考えてみよう。このオプションを買った人は、株価が120円になったときでも、オプションを行使すれば、100円で株式を取得できる。取得した株式を即座に市場で売却すれば、行使に要した100円と売却額である120円の差額、20円の利益を得ることができる。一方、株価が80円になった場合には、オプションを行使さえしなければ何も起こらないから、損失は発生しない。要するに、後だしジャンケンができるわけだ。

対するオプションの売り手は、株価が上がれば相対的に安く株を売らされ、株価が下がれば保有株の含み損を抱えて、と、全くいいことなしなので、この条件では誰もオプションを売ることはない。したがって、オプション取引に際しては、通常、買い手から売り手に対してオプション料として金銭が支払われる。上の例で、仮に120円になる確率と80円になる確率が半々だとすると、オプションを持つことによる利益の期待値は10円である。よって、このオプションの買い手が売り手に対して当初に10円を支払えば、取引はフェアとなる。

スタバの話に戻ろう。スタバにおいて、注文前に席を取る人はオプションの買い手であり、店は売り手ということになる。客は、オプションを取得することによって、店が混雑して自分が席に着けなくなるリスクをヘッジすることができる。

しかるに、スタバの客は本来、注文前に席を取るときはそのオプション料を払わなくてはならない。払わなくてはならないというか、スタバ側は、対価を貰わない限り、合理的に考えて、そうした取引に応じる必要はないということになる。

ところが、注文してから席をとって欲しい旨の意思表示をしている店もないことはないものの、さほど多くないばかりか、逆に席を取ってから注文することを推奨する店まである始末である。


なぜスタバは、そのような非合理でアンフェアーな取引に甘んじているのか。

これは仮説でしかないが、スタバは、クレームに対応するコストを削減することを優先しているのではないか。クレームというのは、要するに「カネを払ってコーヒー買ったのに座れないじゃないか」というクレームである。

日本の伝統的喫茶店はその居住性に価値を見出してきた。ドトールは街の喫煙所であり、ルノアールはオヤジの会議室なのだ。いずれにせよ、飲み物や軽食などの商品そのものよりむしろ、空間が非常に重要視される。だから、コーヒーを買ったのに席に着けないという状況は完全に片手落ちなのであり、居住性にカネを払ったつもりでいる客からしたら、商品の提供が完了していない状況に他ならない。実際、私の勤め先の裏手にある喫茶店は、持ち帰りだと、コーヒー代が半分くらいになる。

スタバは、こうした日本の伝統を踏襲する立場にはない。スタバのコーヒーは、テイクアウトにしても料金は変わらない。あれは、スタバのカップをもって歩くとちょっとかっこいいよというタイプのブランディングをしている。だから、オフィスビルの一階にカウンターだけつくってほとんど席がないみたいな出店の仕方ができるのだ。

大多数の客は、伝統的な喫茶店とスタバでは提供している価値が違うのであるということを理解して利用しており、新しい価値観に馴染めないのはごく一部の客だ。昔ながらの喫茶店の常識が頭から離れない頑固者が、「カネを払ってコーヒー買ったのに座れないじゃないか」というクレームをする様子は目に浮かぶだろう。スタバは、きっと、この相手をするのが面倒過ぎて、「もういっそのことみんな席取ってから注文してくれちゃっていいですよ」というスタンスに変わってきたのではないだろうか。

何が言いたいか。

あなたが注文前に席を取ることによって得ている利益は、価値観が古く、タチの悪いクレーマーの"おこぼれ"だということだ。より喫茶店ぽく、そのコーヒーは前のオッサンの飲み残しだよと言ってもいい。意味がわからなくなってしまった。

なんにせよ、そんなものに頼って利益を得るのは、恥ずべきことではないか、ということだ。「そうでもないよ」と言うなら別に反論はない。

マカーの自己顕示欲

ところで、上記のようことを鼻息荒く考えながらようやく席に着くと、驚かされるのは周囲のマカー率の高さである。視界に入る人のうち少なくとも一人はいじっているのだ、Macを、Mac Book Airを。

決してWindows PCではない。Macだ。知る限り、WindowsMacのシェアは、Windowsの方が圧倒していたはずだ。これがスタバに入るとまったく逆転してしまうというのは、ちょっと偶然とは考えづらい。

なぜ、マカーばかりがスタバにコンピューターを持ち込むのか。これは、人に見られたいからとしか考えられないではないか。

スティーブ・ジョブズは、Appleがつくっているものは、ポルシェのようなコンピューターだと言っていた。それを持っていることがその人の誇りになるような高いブランド価値を持った商品。それこそが今世紀最大のカリスマが目指していた商品なのだ。であれば、そうした高いブランド価値に魅せられた人たちが、折角買った「ポルシェ」を、家の中でひっそり使うだけにとどめる道理はない。持ち歩いて、その美しいフォルムを、そしてそれを華麗に使いこなす自分を、人目に晒したいと考えるのは自然な流れだ。

彼らのスタバ利用時間は、長い。それもそのはずだ。人目に触れることが目的であれば、長くいればいるほど目的は達成されることになるのだから。

ということで話が拡散したが、結局注文の前に席を取る取らないはどうでもよく、もっとも不当に長くスタバの席を占有しているのはマカーの自己顕示欲なのであったというオチで終わる。めでたしめでたし。

参考

リアル・オプション―経営戦略の新しいアプローチ
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金融業界で発達したオプション取引及びその評価に関するノウハウを、よりリアルな対象にも応用しようという話。例えば、新規事業をはじめるときの撤退オプションの評価はいくらか、など。興味深いテーマだが、難しくてよく意味が解らないのが難点。