資本主義とはそれ自体の維持を目的とした権力の装置である

フーコー入門 (ちくま新書)

フーコー入門 (ちくま新書)


歴史入門

歴史入門

上の本2冊を読んで、タイトルのような仮説に至った。


人類の歴史はおよそ権力の歴史であって、社会の変容にともなって、権力はその形をかえてきたに過ぎない。フーコーは、近代的な権力のモデルを、規律社会から管理社会への変容に関連して分析する。即ち、封建的な規律社会における権力は死を与える権力であるが、管理社会におけるそれは自己の構成員に対して生を与えるものでなければならない。これについては民主化の流れによる当然の帰結であるとも考えられる。


羊飼いの権力は、伝統的な領地を対象とした権力ではなく、移動する群の中にいる個人を対象にする。即ち、この権力の目的は敵に勝利し領地を獲得することではない。個人の生活の物質的な福利を確保するという日常的な目的を有する。羊飼いは羊のために自らの生を犠牲にすることで権力を得る構造になっている。

キリスト教会の司牧者は信徒の魂の救済を気遣うが、信徒による告白を通じて、信徒を支配した権力であった。

国家とは福祉を通じて、国民を管理する。福祉の充実は、国家の道徳によるものや、ただ国民の幸福を願って行われるものではなく、国家の権力を維持するのに必要な手段である。


以上のようにフーコーは分析するが、このことは資本主義に対してもまったくあてはまるものではないか。いわばそれは国家を統治する権力といえる。