派遣村の話でよくわからないこと(追記あり

正月に実家でテレビを見ながら、どうせはてなでは盛り上がるだろうななどと思って眺めていた話題、それが派遣村

派遣村のマクロとミクロ

派遣村とはなんぞやという問いについては、以下の引用部分を参照されたい。

「派遣切り」などで仕事と住まいを失った人を対象にした東京・日比谷公園の「年越し派遣村」に、労働者が続々と詰めかけてパンク状態となり、近くにある厚生労働省は2日、要請に応じて省内の講堂の緊急開放に踏み切った。約250人が講堂に移った。
労働組合や市民団体などでつくる実行委員会の想定の倍近い約300人が集まり、用意したテントが足りなくなったため。昨年末から急激に切迫した雇用問題は、中央官庁が職を失った人を庁舎に迎え入れる異例の事態になった。

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あまりにもありがちな話題だ。不景気で雇用が減少し、失業者が増えれば、こういう騒ぎが起こるのは必然といえる。そしてこうした騒ぎにかこつけてサヨクがこれ見よがしに思想信条をアピールするところまで完全な予定調和といえる。

私は今更ウヨクさんやサヨクさんによる綱引き劇場に参加する意欲はまったくないので、この話題についてはきっちりスルーするつもりが、下の人物の下の発言のせいで、ついうっかりエントリーをあげてしまった。

坂本哲志総務政務官は5日、総務省の仕事始め式のあいさつで、仕事と住まいを失った派遣労働者らを支援するために東京・日比谷公園に開設されていた「年越し派遣村」に触れ、「本当にまじめに働こうとしている人たちが日比谷公園に集まってきているのかという気もした」と述べた。

毎日jp(毎日新聞)

何故この発言が気になったかと言えば、うちの父親がまったく同じような発言をしたのだ。テレビを見ながら。「こいつらほんとに働く気あんのか」と。「内容にこだわらなければ仕事がないはずない」とも。

よくわからないのは、何故急にミクロなレベルの真偽が問題になるのだろうということだ。景気が悪化→雇用が減少→対策が必要→マスメディアでもアピールまではマクロの問題だったはずだ。雇用が減少までが真であれば、必ず失業者は増えている。雇用の絶対数が減っているのだから、新しい仕事に就けない人も必ず存在するはずだ。にもかかわらず、テレビでインタビューを受けているその人や、その場に集まった他の個人の意思や状況を突然問題視する思考回路はいったいどういうことなのか。しかもそういう考え方をする人がいっぱいいそうな気がしたのだ*1

不快感の仮説

最初に言っておくが、大して確からしい仮説は出てこない。

この件を考えていて、まず思い出したのは「ニセ科学」の話だ。ここで「ニセ科学」とは、『科学ではないのに科学を装っているもの。つまり「科学ではない」と「科学を装っている」の両方を満たすもの』*2のことらしい。そしてこれを批判するニセ科学批判者の動機は、『人それぞれ』*3らしいのだが、代表的なものに、ニセ科学は科学の権威を利用した詐欺的な行為であり、偽札が罰せられることと同様、許されるものではあり得ない、という義憤がある。

この理路は、派遣村批判者にも適応することが可能だ。即ち、派遣村の人による政治的宣伝行為は、失業者の悲惨さを利用した詐欺的な行為だという義憤である。ニセモノが跋扈するとホンモノの価値が下がる、この場合、本当に凄惨な生活をしている失業者に救いの手や衆目が行き渡らなくなるとでも言おうか。あるいはこうも言えるかもしれない。ニセ科学が不当な権威付けによって購入者に経済的な損失をもたらすように、ありもしない社会問題を捏造して政府に対策を迫ると社会的に無駄なコストが発生する可能性がある、とか。

ただどうもこの手の動機というのは、後付けの気がする。普通に考えて、多数の人にとって、ニセ科学に騙される被害者や、本当に凄惨な生活をしている失業者は、見知らぬ他人である。その見知らぬ他人の、存在するかどうかも分からない被害について、【確かに明日は我が身とはいうけれども、】*4そんなに我を忘れるほどに怒りの感情を持てるものなのか。

上で引用した坂本哲志総務政務官の発言は明らかに配慮を欠いている。「本当にまじめに働こうとしている人」かどうかという、立証が困難なことが明らかな基準を持ち出して、"マクロ的に考えれば存在すること自体は明確なカテゴリー"を批判したのだ。そんなことをしたら立場が悪くなることは私でもわかる。政治の世界で生きる人物がそんなことに考えが及ばないということがあるのだろうか。考えられるのは、あまりにも不快だったために我を忘れてしまった可能性だろう。

社会的な損失を減じ、または未然に防ぎたいのであれば、坂本哲志総務政務官は、雇用が減少していないことや、働く気さえあれば仕事はいくらでもあること、失業者への対策に際しては、生活保護よろしく本当に働く気があるのかどうかの厳密な審査を行うべきとする旨の主張などを淡々と説明すべきだった。姑の小言さながらに主観的な難癖をつけてみたところで、事態が変わるわけでもないし、誰を説得することもできない


単純にサヨク的イデオロギーが嫌いという可能性もある。ちなみに私は嫌いだ。以前にここのブログで『ただのサヨクとただのウヨクと - よそ行きの妄想』として書いたのだが、要はサヨク的思想は現状を批判させれば素晴らしい成果をあげるが、理想に固執するあまり、なんの実現可能性ももたらさないからだ。それでは時間の無駄なのだ。だから嫌いだ。ところが、本件に限って言えば、派遣村の人は政治的宣伝というかたちで、さもありそうな失業者対策という問題を具体化させ周知するという行為をとっている。それ自体に何の問題もない。むしろ失業者対策を充実させたいと思えば、政治的活動は不可避だろう。そういう意味で、私は本件の活動家諸氏というか、派遣村の人たちが実はサヨクだろうが何だろうが一向に構わない。

今回の件で、サヨク批判をするというのは、それは自分がウヨクだからじゃないのか。それならそれで当然結構なのだが、ウヨクとサヨクの綱引きがいつまでたっても決着がつかないのはいまや自明である。そういう趣味の領域の話は出来るだけ人目につかないところで、どうかひっそりとやって欲しい。社会を発展させるような議論にはつながりようがないからだ。


バカバカしい話だが、「甘ったれたことを言うな」という趣旨であれば、わからなくもない。誰だって、甘えられるものなら甘えたいはずだ。そこをなんとか堪えて自分は頑張っている。お前だけ甘やかしてもらおうなんてズルイという考え方は、なかなか原始的で単純なだけに説得力がある

しかしそれはあまりにもバカバカしい。大の大人が言うセリフではない。木を見て森を見ないにもほどがある。いち個人がズルイかズルくないかの判断はとりあえず置いておいて、社会的に雇用不足という問題が本当にあるのかどうか、どういった対策が必要かどうかを考えてもいいんじゃないか


■追記(1/7)
案の定と言うべきか、上の件、池田先生がきっちり炎上させていた。
「派遣村」の偽善 - 池田信夫 blog(旧館)
曰く、『完全失業者は250万人もいるのに、なぜ日比谷公園に集まった500人だけを特別扱いするのか。』*5とのことなのだが、派遣村の人たちの主張はそんなにミクロなものだったのか?だとしたら上の私の疑問はすんなり解決してしまう。ミクロの主張を検証するにはミクロのレベルの真偽が重要だからだ。私はてっきり「250万人の完全失業者」全体に対して、手厚い保護をすべきだという政治的主張がメインだと思っていたが。
そもそも、池田先生自体、『完全失業者は250万人もいるのに、なぜ日比谷公園に集まった500人だけを特別扱いするのか』(ミクロな目的だ)と煽る一方で、『もちろん「政治活動を主目的に活動している」ことは明らかだ』(マクロな目的だ)と言う。いや、それ、ムジュンしてるだろ!


■追記(1/12)
こういうことかな。
⇒『id:magician-of-posthumanの人観察日記とニセモノに向けられる不快感 - よそ行きの妄想


■追記
全然関係ないけどどうかこちらも見て行ってください。どちらかと言うと反応が欲しいと思いながら書いた記事にむしろ反応が少なく、がっかりしています。
日本の需要不足を解消し、経済を回復させる<帝国主義> - よそ行きの妄想

*1:と、思ってたらやっぱりいっぱいいた⇒『[http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1206717.html:title]』

*2:『[http://www39.atwiki.jp/cactus2/pages/14.html:title]』より引用。

*3:『[http://www39.atwiki.jp/cactus2/pages/15.html#id_fbab7f06:title]』より引用。

*4:【】内は追記。

*5:『[http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/caa6353a3bf77b62c7782d6bd09446a2:title]』より引用。