女性との距離感
根底には、自分自身の性欲に対する嫌悪感*1、性的欲求や性的ファンタジーを肯定的に語ることに対する異常なほどの罪悪感もある。どうやらそれは母親に植え付けられたものらしいが、なぜそれを、女性にばかり投射してしまうのだろうか。明らかに不当なことでありやめなければならないと頭では認識しつつも、自分の心が手に負えない。どうしたら、母親(と一体化した自分)とそれ以外の女性の区別をつけられるようになるのか……。
結局のところ、健全な自己肯定感で満たされない限り自我も確立せず、他者を個人として肯定することも、違う考えを持っていても脅威と認識せずに尊重することもできないのだと思う。必要とされているのは親の心理的な呪縛から逃れること。遠く遠く険しい道のりだ。
はてなダイアリー
これ、結構わかるような気がする。
というか、結構男性なら誰でもそうだと思うのだけども、自分の性欲に対する嫌悪と女性の神聖化*1って陥りやすい罠だと思う。今ではさすがにそんなことはないけど、思春期にあってはオナニー後の賢者タイムで結構無駄に落ち込むことも多かった気がする。
自分の場合、どこかで女性に対する幻想が崩壊し、なんて自分勝手で汚らわしい生き物だなどと憤慨したあとで、しばらくしてなるほどただの人間なのねときづいたときがあり、その辺を境に女性との係り方というのが理解できたような気がする。いや、わりと最近の話。
きっと、ビデオとかゲームとか親子関係とか、そういうなんというか次元の違う女性ばかりと関係していると、女性との距離感はどんどんこじれていくような気がする。