無担保ローンの罠

消費者金融業者などによる個人向け無担保ローンは、なにかと資金が入用な一方で、現金はもちろん高価な資産を持たない庶民にとってはありがたい存在ではある。

しかし、金融業者が、無担保という言葉の印象ほど何の当てもなくカネを貸しているわけではないことは覚えておくべきだろう。

人間関係という無形資産

金融業者が考える回収の当てについてのひとつのシンプルな考え方は、債務者が真面目に働いて、将来的に資金のゆとりができたときに回収するという考え方で、これこそがもっとも基本であり、もっとも自然であるように思える。ただ、金融業者は、一般に、債務者から生じる将来的なキャッシュフローを、少なくとも完全には信用したりしない。その人は会社が潰れて失業するかもしれないし、病気になるかもしれない。そうしたリスクは範囲が広過ぎて、とてもではないが対処しきれない。そんなことをいちいち検討していたら、利息をいくらもらっても審査にかかるコストがペイしないだろう。

これは消費者金融に限らず銀行でもそうだが、カネ貸しの基本というのは今現にある何らかの資産を当てにしてカネを貸すということだ。

土地や建物がなくとも、人であればほぼすべての人が少なからず持っている資産があって、それは人間関係である。すべての人は、親子という人間関係を持って生れて来て、その後の人生のなかでも様々な人間関係を築く。これがカネになる。

人間関係を換金するための法的にも認められた手段は連帯保証であるが、そうでなくても債務者を恫喝して親戚縁者にカネの無心をさせることはできる。そうしてあらゆる手段を使って、債務者の人間関係を換金させることによって貸したカネを回収するという目処のもと、消費者金融業者は「無担保」でカネを貸す。審査にあたって借入人の職業や職歴を聞くのは、借入人の年収を把握する意味ももちろんある一方で、むしろ社会的な立場から、背後にある人間関係の存在を類推し、もしものときでも回収可能な金額の目処をつけるためである。

人間関係の換金と過剰担保問題

問題は、人間関係というものは部分的には換金はできず、また一度換金した人間関係を再度得ることは極めて難しいということ。

100万円の借り入れを返済するために換金した人間関係は、実は1,000万円*1以上の価値を持ったものであったかもしれない。ところが、当該人間関係の1割だけを換金するということは原理的に不可能であるから、結果的に1,000万円の資産を失い、100万円の返済しかできないことになり、即ち差額の900万円は借入人の損失となる。

制度的な話をすると、これはつまり過剰担保の問題であり、リーガルな言い回しをすれば優越的地位の濫用であるわけだが、難しいのは上の例でいところの900万円の損が金融業者側の利益になっているわけではないというところで、つまり必ずしも金融業者の強欲さが問題の本質にあるとは言えないところだろう。

借りれる額くらい自分で計算すべき

消費者金融の業者が、借り手である個人の将来キャッシュフローにいちいち注意を払わないことは先に述べた通りで、金融業者の経済合理性を考慮すれば、それは当然のことだろう。

では誰が個人のキャッシュフローに注意を払うべきかと言えば、それは借入を行う本人に他ならない。どの程度の収入が、どの程度の確度で、自らにもたらされるかについて精緻な検討を行い、それを超える額の借り入れは慎むべきだろう。さらに言えば、キャッシュフローの計画及びリスクを貸し手に説明し、説明したリスクについては貸し手のリスクとなるような交渉をするというのがあるべき姿だが、無人化が進む窓口を相手にそんな交渉をする術もないので、最悪の場合当該リスクも自らが負担することを考慮し、その分を割り引いて借入額を決定すべきなのである。

そうした検討・交渉を怠ると、最終的には過剰担保による損失を自ら被ることになる。

追記(7/15)

そうそう。そういうこと。(便乗)
改正貸金業法について - Chikirinの日記

*1:普通、人間関係の客観的な価値を定量的に把握することはできないが、便宜的に。