原発は「安全」なのか
福島の原発が緊急停止して以来フル稼働を続けている我らが池田信夫先生だが、その勢いはとどまるところを知らず、最近では原発を自動車と比較して安全だと強弁するのが先生のマイ・ブームのようだ。
自動車のリスクを「年間5000人」と書くのなら、同じ基準で原発のリスクを比較しないと不公平だろう。日本の原発事故の死者は、これまでゼロである。2名の死者が出た東海村事故は核燃料加工施設だが、それを入れても年間0.04人。少なくとも「原発のリスクは自動車をはるかに上回る」とはいえない。
池田信夫 blog : 自動車や石炭火力は原発より危険である - ライブドアブログ
過去のデータを援用して原発の「安全性」を訴えるその姿は、まるで住宅ローンのデフォルト率に関する過去の統計データを根拠に、サブプライム層向けの住宅ローンを証券化商品に加工したものを、理論上絶対安全と吹聴して世界中の投資家に売りまくった投資銀行家のようだ。
サブプライムローン問題においては、過去何十年に渡って安定していた住宅ローンのデフォルト率があるときを境に急増し、何百倍にも膨れ上がった。これは、端的にいえば証券化商品の販売が好調だったがために、信用力の低いサブプライム層に対しても貸し出しを増加させたためだが、過去の統計データが将来の結果も保証するわけではないという当たり前の教訓をもたらした。
今回の原発事故についても、未だ事態は収束しておらず、被害がどこまで深刻化するかわからないからみんな不安になっているわけで、統計上は安全であると主張したところであまり意味を持つとは思えない。
そもそも、今回と同規模の事故は過去にチェルノブイリとスリーマイルしかなく、統計データと呼ぶにはあまりにも心許ないという気もする。
過去の統計データなどによる推計からは考えられないような事象が起こることを、存在しないと思われていた黒い白鳥が発見されることで既存の常識が覆る現象に準えてブラック・スワンと呼ぶが、面白いのは、池田先生が上の記事を執筆される2週間ほど前に、「原発事故というブラック・スワン」という記事を執筆されている点である。
今回起こった福島の事故が本当に想定外の、理論上は起こり得ないようなものであればあるほど、過去のデータなど引き合いに出しても何の意味もないということにしかならない。これからまったく想定外の事態に発展して多数の死者が出るかもしれない。
私は原発について何ら専門的な知識を持たないので、福島でこれから起こり得る事態をある程度の論理的整合性をもって解説するようなマネはできないが、想定外の事故が起こったのであれば、今後想定外の被害が発生する可能性があるということはわかる。それは太陽系の惑星がすべて縦に並ぶような確率かもしれないが、そういうことが1週間続けて起こったりするというのが池田先生も大好きな「ブラック・スワン」の意味するところだ。
原発事故はブラック・スワンだと言うことと、原発は統計上安全だと言うことはまったく逆のことで、それを同時に主張するのは、まるで「まあデフォルトしますけどね」と言いながら証券化商品を売るようなものである。
私は別に原発に反対するつもりはまったくなく、むしろ安定した電力供給のためにできることがあれば協力したいくらいだが、原発のリスクを必要以上に矮小化するつもりは毛頭ない。
現状においても、原発から半径20キロ圏内の住民には避難指示が出され、30キロ圏内の住民には屋内退避指示が出されている。約40キロ離れた飯舘村の土壌からも、IAEAの避難基準の約2倍にあたる放射性物質のベクレル量が検出された。放射性物質による汚染の被害は数万年にも及ぶと言われ、こうした地域に住む人たちは、不安に苛まれながら避難所で生活し、生きているうちには自宅に戻れない可能性もある。特に農家の人々などは商売道具の田畑が汚染されてしまったわけだから、生活が成り立たないだろう。こうした被害は誰がどう見ても「自動車をはるかに上回る」もので、死者が何人出ているかという問題ではない。
死者が出ていないのは単に避難したからで、自動車事故と死者数で比べても何の意味もないことは明らかである。例えば本州の人全員が避難しなければならない事態に陥っても、死者が出なければ「安全」なのだろうか?
当たり前だけど、そういうことではないだろう。避難の結果死者ゼロで済んだからと言って、「安全」が事後的に決まるようなことがあるはずがない。常識的に考えれば、「危険」だからこそ避難した(させた)んである。