「利用者」と「擁護者」のレイヤーの違い

なんか納得した。

はてブの反応がマジコンの話題と全然違う。鳥山明さんのイラストを1円も払わずに見て喜んでる人たちと、マジコンに怒っている人たちは重なっていないのでしょうが、マジコンに怒った人は、こっちにも怒るのが道理。
(中略)
ともかく、そりゃもちろん、何でもかんでも言及する暇は誰にもないが、ブクマが100ついたら4人や5人くらいは怒っていいんじゃないのか。現状は、私の感覚では、あまりにもアンバランス。

優先順位の問題というならば [著作権など]

たしかに。


このアンバランスさについて、上で引用した記事の増田氏著者の方*1は以下のように述べている。

結局、何なのかというと、自分も(時々)やってることは、規制されたくないんだな。自分が絶対にやらないことなら、ガンガン規制しろ、っていう。身勝手なんだよ。

優先順位の問題というならば [著作権など]

つまり、アンバランスさの原因を人間の身勝手さに求めた格好である。ただ、それはそれとして、私には他の要因もあるような気がした。即ち、不正コンテンツに反対する「批判者」の立場からすると、実際の不正コンテンツの「利用者」よりもその「利用者」を擁護する「擁護者」の方が叩きやすいのではないかという。

「批判者」が「利用者」に対して持論を述べたとしても、おそらく大概の「利用者」は大きなお世話だと述べたうえで、じゃあ自分は利用しなきゃいいだけじゃんと居直るのが関の山である。つまり、ときとしてより大きな視点から繰り広げられる「批判者」の批判と、「利用者」の個人的利得では話のレイヤーが違いすぎるということだろう。であれば、話が噛み合わないことは当然である。

他方、「擁護者」はそうではない。自身を正当化するという動機の有無は別として、「利用者」よりは一歩大きな視点から、「利用者」のロジックを構築しようとする。であれば、「批判者」との間で、しばしば会話が成り立つのである。


おそらく、「批判者」は日ごろ「利用者」を見るにつけ不快な気持ちになっているはずだが、その持論を展開する機会は乏しく、鬱憤をためているのではないか。だから稀に「擁護者」が現れたと聞くや否や増田氏がアンバランスさを覚えるほどに大勢の人がそこに駆けつけ、勇ましく持論を展開するという現象が起こるのかもしれない。

と、思った。

*1:なんと増田にあげられていたのは盗用であるとのことが、コメントをいただて判明。ご指摘を受けて当記載を修正、上の引用部分の引用もとの記載も改めた。しかし著作権に対する意識の低さを問う記事を盗用するとはふてえ野郎だな。