安倍総理辞任
少年官邸団、ここに極まれり。って感じですね。こんな無責任・無能力がまがいなりにも一国の総理をつとめていたとは・・・
兎に角、自民党は本格的に終わりかもしれませんね。小泉元総理がつくった自由主義化路線はほぼこれで芽をつまれた格好ですし、また、人気重視で総理を選んではいけないということが証明されました。かといって従来どおりの自民党に戻るというのも国民の支持を得られそうにない。
そもそも、保守政党が改革だなんだと言って米国の路線に傾倒するなんざ、イデオロギーの崩壊では。政権与党であることを追求するあまり、自らの存在を否定してしまったような感じです。
ところで、自由主義経済への移行については、それがいままさに格差社会を産んでいるということで、批判の的になっているわけです。しかしながら、『日米開戦の真実』にもあるとおり、自由主義経済というのはそもそも、強者が必ず勝つという「ゲームのルール」であるわけで、日本経済における強者である経団連、国際社会における強者である(であった?)米国がこれを推進し、社会的弱者がこれを批判するというのは至極当然の図式です。しかも日本の弱者(ニートとか、フリーターとか)は選挙にいきませんから、この流れ自体は実に滞りなく推し進められていた感があります。
これは私の私見ですが、この流れを後押ししていたというか、弱者からの批判をうやむやにするために利用されていたのが、ヒルズ族に代表される「日本版アメリカンドリーム」と「ナショナリズム」だったのではないでしょうか。ただし、「日本版アメリカンドリーム」については、某行き過ぎた豚のせいで世論の反発をあびてしまい、結果国策捜査の対象となることで、逆に今度は格差社会への批判的な声を高めてしまったことは皮肉な結果であったと考えます。今回ある意味気の毒に安倍さんが辞めざるを得ないのは、そいういう意味ではホリエモンのせいというわけです。
一方で、「ナショナリズム」は、弱者たちをまとめあげ、国としての存在意義を作り上げるために必要であったと考えています。これは、小林よしのりの『平成攘夷論』における、アメリカの国家としての本質と極めて近しいモデルです。靖国問題でどうでもいいのにみんなで大騒ぎした目的はこれだったとふんでいます。拉致問題もうまく作用しました。この「ナショナリズム」は、自由主義経済への移行という、そもそもの目的が失われているにかかわらず、世論の傾向として現在も存在しており、さらにいえば、結果的に、はからずしも現在の日本でもっとも大きくかつ唯一といっていい流れにまでなっているのではないでしょうか。これは結構危険なことですし、アメリカや特定アジア諸国なんかからしても好ましからざる結果でしょうから、普及の障害は大きいですが、なにぶん他に有効な思想がないですからね。。危険です。
話がそれましたが次期総裁については、小泉⇒安倍という世論重視路線でいくと、麻生太郎の線が若干濃いかもしれませんが、上述したような理屈でさすがにその路線は厳しいでしょう。一方で小泉チルドレンに代表されるような所謂改革派は自らの存在意義である既存の改革路線の継続を強く訴えるでしょうし、即ち、自民党も2つにわかれるときかもしれません。その場合、当然安定した政権与党たり得ないわけで、戦後50年以上にわたって築き上げてきた政権与党の遺伝子が勝つか、個々人の政治家としての原理原則が勝るか、という解釈は少々乱暴でしょうか。