戦後の終わり

目次:非モテについて勉強してみた - よそ行きの妄想


非モテはその定義により、恋愛至上主義または恋愛資本主義(総称して恋愛主義という)への批判から誕生しているから、まずは恋愛主義についての研究をせねばなるまい。

恋愛主義はいついかにして生まれたのか。恋愛主義の勃興を論ずるにあたっては、まず前恋愛主義時代についての考察を要する。

以下のデータは若者の性体験率を示すものであるが、バブル崩壊後の1993年以後急激な変化を遂げていることを明示している。
現代において性行為とは、恋愛のひとつの結果であることを考えると、バブルの崩壊期にかけて、恋愛に関する何らかのイデオロギーの変化があった可能性が高い。

ジェネレーションZとは? バブル崩壊後に育った平成世代 - トレンド - 日経トレンディネット
また、女子の性体験率は17歳で32.2%。うち、一人の相手とだけ経験があるのは13.5%、複数の相手と経験があるのは23.1%である。東京都が行った調査(2005年)でも高1が14.6%、高2が26.4%、高3が44.3%であり、ほぼ携帯調査と同じである。そして同調査によれば、女子の性体験率は、バブル崩壊後の1993年以降急増している。

ではバブルの崩壊は、日本社会のイデオロギーに対して、どういった影響を及ぼした事件だったのか。上と同じ記事からの引用になるが、下の考察は、バブル崩壊に関する考察として一般的なものだと思う。

ジェネレーションZとは? バブル崩壊後に育った平成世代 - トレンド - 日経トレンディネット
Z世代が生まれた1980年代半ばから90年代にかけての時代は、戦後の日本が求めてきた近代主義、合理主義的な価値観が揺らぎ始めた時代だと言える。あるいは、近代主義、合理主義的な知識人、文化人の勢力が退潮した時代だとも言えるし、さらにいえば、「近代家族」と呼ばれる家族制度が溶解し始めた時代だったとも言えるだろう。家族制度の溶解は、典型的には離婚率の増加が示していることはいうまでもない。
また、終身雇用、年功序列という日本的経営に対しても疑問が拡大してきた時代であり、転職者数が増え雇用の流動化が本格化した時代であると言える。ひとことで言えば、日本の戦後の体制の揺らぎが起こってきた時代であると言える。この揺らぎがバブル崩壊によって決定的になった。親の会社が倒産したとか、親がリストラされたといったことを経験している者が少なくないはずだ。自分の親が大丈夫でも、同級生などにはそういう人がいたはずである。信じられる者は家族でも夫婦でも会社でもないという時代が始まった。それが彼らの運命論的傾向を強めたのであろう。

つまり、戦後という時代においては、日本国民は敗戦からの復興という価値観をある程度共有し、また社会制度はその価値観を有する人に対しては「安心」を提供するというかたちで、それを後押ししていた。しかしバブル崩壊とともに戦後は終わったのだ。

バブル経済は社会学的見地からして、国民全体を支配した一種の価値観にほかならず、バブルの崩壊がもたらしたのはまさに社会的価値観の空洞化である。さらに、バブルの崩壊にともなう終身雇用制度や土地神話の崩壊などの経済的な変化も国民がその価値観を喪失することを大いに助長したと考えられる。

しかし一方で、社会とは、というか社会の構成員たる個々人は、何らかの共有すべき価値観を必要とするものである。このことを感覚論的に言い得ているのは以下の文章である。私たちは「生きる」ために「いきいきする」ことが必要なのだ。

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私たちは人間として生きている以上、何かで「いきいき」しなければいけない。テレビを見たり、本を読んだり、ゲームをしたり。でなければ退屈で死んでしまうだろう。
ただ、私たちにはもうすでに征服するべきフロンティアも打倒されるべき帝国も憧れのアメリカン・ウェイ・オブ・ライフもない。そして、私たちの前の世代をあんなにも「いきいき」させていた仕事すら、私たちを「いきいき」とさせてくれない。まさに前の世代が「仕事」に縋りつきつづけるが故に。

そしてこのことは、自我の安定の観点からも言及できよう。即ち人間は自己の存在を第三者によって承認されない場合においては、自我を安定させることができない。そして自己の承認を”たまたま隣にいた誰か”ではなく、社会が担うメカニズムこそが現代的な社会である。これは個人の生存にかかわる集団が、国家社会規模までに大きくなり、極端に分業が進んだことの裏返しである。社会とはそれを構成する個人に対して価値を与えるのである。

よって、社会が共有すべき価値観を失った状態とは、その機能を果たしえない状態に他ならず、まさにこの地球上において真空状態が許されないように、空洞化した価値観は何らかの新しい価値観によって代替される必要があるのである。


その価値観がまさに恋愛主義であったというのが筆者の見地である。

以下では、なぜ恋愛が社会を覆うまでの価値観たり得たかについて順を追って確認していきたい。


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