例のホームレスのエントリのコメ欄が長くなりすぎたから立てたエントリのコメ欄も長くなりすぎちゃって、また立てることにした。
長すぎてか、私の携帯でコメ欄がうまく表示されなくなってしまい不便なので。
例のホームレスのエントリのコメ欄があまりに長くなったし、回答しきれないので別エントリにしてみた。(追記あり - よそ行きの妄想
のつづきですね。
一応、コメ欄でいろいろお話して、暫定的な結果が以下。
言いたいことをもう一度整理させていただきます。まず、国家が権力を維持するためには、国民に「自分たちの人権は国家に与えられているものだ」と勘違いさせることが必要なんじゃないかということと、その勘違いをさせるためには「人権を与えられていないヒトの物語」を見せる必要があるのではないだろうかということ。そうすると必然的に「物語の犠牲」になるヒトがいるということです。「物語の犠牲」がいてはじめて秩序が「均衡」すると考えられます。【そして現代社会において、その「物語の犠牲」になっているのがホームレスなのではないでしょうか。】
しかしホームレスにも「基本的人権」はあります。なぜなら憲法にそう書いてあるからです。ただこの憲法に書いてあるというだけの「基本的人権」に何の意味があるのかがよくわかりません(万人にすべて等しく与えられているものを認識することができますでしょうか?)。実際問題はホームレスの方々は「均衡」のための「物語の犠牲」になってしまっています。「基本的人権」を有するヒトが「物語の犠牲」になり差別を受けているというのは矛盾だと思います。
ここで、「ホームレスを援助する動き」の位置づけは「物語の犠牲」を解消する動き、つまり「物語」の否定です。これはつまり「均衡」を崩壊させようとする動きと同義で、不可能か、もしくは万が一成功したら「均衡」が崩壊します。これも矛盾だと思います。
※【】内は新たに追記
ちなみに、これについて
君はバカだなぁ
ここで、「ホームレスを援助する動き」の位置づけは「物語の犠牲」を解消する動き、つまり物語の否定です。これはつまり「均衡」を崩壊させようとする動きと同義で、不可能か、もしくは万が一成功したら「均衡」が崩壊します。これも矛盾だと思います。
とあるが、そもそもその物語自体は誰が書いた物語なのかね?
まずはここをはっきりとしないとな
というコメントをいただいたので、バカっていうやつがバカなんだぞバーカって返してみたんだけど、こういう人ってどういう反応を期待してるのかなあ。私の反応は正解だったのだろうか。
※追記
とかなんとか思ってたら再度コメントをいただいたのだが、どうやら屈折した愛情表現だったようだ。みんななんだかんだいって実は意外といい人だよな。
まあコメントあればどしどしご応募ください。