バフェットの投資哲学とリスクの分類
「バフェットからの手紙」を読んで、改めてリスクにはいろいろな考え方があるなあと感じたので、リスクの分類について少し考えたところをまとめてみた。
バフェットの投資哲学
知らない人はいないと思うが、ウォーレン・バフェットは米国の著名な投資家であり、世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの筆頭株主でありながら同社の会長兼CEOも務める。Wikipediaによれば、バフェットが「1965年にバークシャー・ハサウェイの経営権を握ってから現在までの約45年間に、ダウ平均株価の上昇率が約1400%超だったのに対し、バークシャー・ハサウェイの株価は約82万%超という桁外れの上昇をみせ」たそうで、2007年における個人総資産は「620億ドル(約6兆4360億円)」とのことである。
バフェットの投資哲学はシンプルで、いわゆるバリュー投資と呼ばれる手法がそれだ。バフェットは、それを恩師であるベン・グレアムとデイビッド・ドッドから学んだとしている。
バフェットは、企業の長期的な利益に着目しない単なるバーゲンハント的な短期の取引手法を「しけモク」手法と揶揄し、「ひとつのバスケットにすべての卵を入れてはいけない」ではなく、「ひとつのバスケットにすべての卵を入れてそのバスケットを見張りなさい」と言い、安易な分散投資を否定する。
こうした投資手法は言うほど簡単ではない。リスクの評価について、バフェットは次のように言っているが、これはほとんどセンスと心がけの問題である。
この(投資にあたって投資家が見積もるべき)リスクをコンピューターで正確に数値化するのは不可能ですが、実際役立てられる程度の精度で算出できる場合もあります。この計算にあたっての主な要素は以下の通りです。
- 企業の長期的経済的特性を評価できるという確信
- 企業の持つ潜在力を生かしきる能力やキャッシュ・フローをうまく利用する能力の両面で、経営者を評価できるという確信
- 事業で得た利益を自分たちより優先して株主に還元するという点で信頼が置ける経営者であるという確信
- 企業の買付け価格
- 予想される税率とインフレ率と、それによる総収益から投資家の購買力である収益が目減りする度合い
これらの要素は、どんなデータベースを用いようが数値化するのは不可能なので、多くのアナリストにとって恐らく耐えがたいほどあいまいな要素に思えるでしょう。でも正確に数値化できないという理由から、これらが重要ではないとはいえず、また絶対計算できないというわけでもありません。これは、わいせつ性を系統立てて説明することはできないという結論に至ったスチュアート最高裁判所判事が、それにもかかわらず「見れば分かる」と強硬に主張したことと共通します。判事と同様に投資家たちも、複雑な方程式や過去データに頼ることなく、正確ではなくとも役立てられるレベルで投資対象が個々に抱えるリスクを「見る」ことができるのです。
−「バフェットからの手紙」p.138 第二章 コーポレート・ファイナンスと投資−
バフェットが推奨する投資手法は、投資家自身がその事業の何たるかを理解していると信じ、かつその経営陣を完全に信頼することのできる企業にまとまった額の投資をするものである。バフェットは人間の知識や経験が疑うべくもなく限定的なものであることを知っており、自信を持てる投資対象がそういくつも存在するものではないことを理解しているが故に、ほとんど理解していないような数多くの企業に投資を分散させることを忌避している。
リスクの分類
上述したようなバフェットのリスクに関する考え方は、現代的な金融理論とはまったく趣を異にするものに思えるため、何がどう違うのか整理すべく、以下のマトリクスをつくってみた。
まず、縦軸はそのリスクの種類を表しており、上に行くほどそのリスクを定量的に把握することが容易であることを意味する。定量的に把握することができるということの意味合いとしてはつまり、その投資対象について統計的に有意なヒストリカルデータが存在するということだ。例えば、さまざまな不動産物件をオリジネートした証券化商品であれば、過去の不動産価格推移に関するヒストリカルデータに基づき、リスクを定量的に計測することができるが、どこそこの何丁目何番地の不動産に投資する場合、その不動産の価格に関するデータは精々過去数回の取引履歴程度のものであり、あまりデータとして有意とは言えない。
普通、個別の銘柄や物件について豊富なヒストリカルデータが存在するということは考えづらいから、対象が分散されている、何らかの業界やジャンル、領域などのマクロ的な動向にベットするような投資の方が、定量的にリスクを把握しやすいと言えるだろう。
次に、横軸はリスクの質を表しており、右に行くほどそのリスクが静的であることを意味する。リスクが静的であるということの意味合いは、例えばある資産が生み出すキャッシュフローが将来に渡って安定的に推移するということである。東京大学の真裏に位置するようなアパートと、辺鄙な山奥にあるようなアパートでは、喩え双方ともに現状においてはすべての部屋が埋まっていようとも、将来に渡って部屋の稼働が安定しているのは間違いなく前者だろう。見込まれる需要がまったく異なるのは誰の目にも明らかだ。
リスクの質を見抜くためには、過去の推移や現状だけに捉われることなく、往々にして投資対象を取り巻く環境やその動向についての分析を要する。
バフェット流バリュー投資とリスク
バフェットが言うのはつまり、上のマトリクスで言うところの右下を目指せということではないだろうか。
一般に、限られた銘柄の株式に集中して投資するのはリスクが高いと考えられているものの、その事業の長期的な特性を深く理解することができ、またその経営者が信頼に足る人物であると判断することができれば、投資におけるリスクは将来に渡って限定できるということである。
他方、投資対象の銘柄を広範に分散すると、リスクの種類としては定量的に把握が可能なものとなるので、つき合いやすくなるかもしれないが、リスクの質は本質的には変わらない。値動きが完全に同一でない限り投資は分散した方がリスクは低くなるに決まっていると考える向きもあろうが、ここで言っているのはリスクが将来にわたって安定的に推移するかどうかという話であって、リスクの高い低いではない。
上のマトリクスに当てはめるかたちで図にすると、以下のとおり。
怖ろしいのは、我々には、リスクを定量的に分析できたことをもって、あたかもそのリスクが将来に渡って安定しているかのように勘違いしてしまう習性があるということだ。最近ではサブプライムローンの証券化、一昔前だとジャンクボンドの帝王マイケル・ミルケンの手法のポイントは、1件では投資不適格な対象をたくさん集めることでリスクを定量化し、あたかも安定的な投資商品であるかのように装う点にあった。
結局のところ、バフェットが言っているのは、投資対象に対する深い理解なくして安定的な収益を上げ続けることはできないということであり、それは実際そうなのかもしれないと思う次第である。