日本社会における暴動の可能性

暴動の方法論ではなくて、それが起こりえる社会的な状況、素地について。


日本社会における「格差」の問題がとりあげられるようになって久しいが、問題の本質は格差そのものというよりも流動性の低さにあると思う。


米国のデータなどに目をやると、格差自体は日本のそれよりもよっぽどひどい状況であることが見て取れる。この場合、貧困層は格差の是正を求めて、それこそ暴動などの手段を選択してもおかしくないように思われるがそういうわけでもないのは、「アメリカンドリーム」といったような概念の存在だと思う。それこそ先般失脚されたが、メリルの前CEOをアフリカ系の移民で、祖父は奴隷だそうだ。そんな人でも実力がともなえば、世界を代表する金融機関の代表になれるという社会的な雰囲気が、いまそこにある格差を許容するための根拠として機能しているように思う。


一方で、日本の状況としては、一攫千金や成り上がりに対して非常にドライな雰囲気がある。世論はぽっと出に対して厳しい。そういうと誤解を生むかもしれないが、相手の経歴やバックグラウンドをもとにその人の実力を推し量ろうとする気運というか、癖は間違いなくあると思う。最近官製不況の代表例として頻繁に取り上げられる、貸金業法や金商法などは典型的で、まさに高利貸しやマネーゲーム、その他虚業とおぼしき方法によってお金を儲けることは基本的に望ましくない、という明確なメッセージであり、これこそまさに世論の結果ではなかろうか。参考



このことは、つまり官僚制が社会の隅々まで浸透した結果であると思う。官僚制については、以前当ブログでも言及したので重複を避けるため詳しい記述は省略するが、要は年功序列と終身雇用に根ざした、個々人というよりも組織の力にフォーカスした、全体主義的な仕組みを指す。元々は企業や国家組織の組織体制として発展した制度であるが、これが社会の雰囲気としても確立されてきているのではないか。具体的には、裾はフリーターから、経済界、国家官僚に至るまで統一的なヒエラルキーが構築されてきており、上のヒエラルキーに昇格するためには、「時間」が必要条件となる。いくら時価総額が大きかろうが新興市場の会社の経営者は、東証一部上場企業の経営者よりも格下である。小さい会社の経営者は、大きな会社の社員よりも格が劣る(経営者は経営者、労働者は労働者という個別のヒエラルキーが存在しない)。


そうすると、下のヒエラルキーからの一足飛び的な昇格は、時間の制約上ほぼ不可能であり、冒頭に記述したように、流動性が低下する結果となる。
ただ下層民にとっては、定期的な昇進(教育、労働、納税の義務を果たしているものに限る)と安全や生活の保障が約束されれば、苦しい現状に甘んじる理由付けとなるだろう。