非モテの分類

目次:非モテについて勉強してみた - よそ行きの妄想


非モテMAP ver.003
ここに秀逸な分類があるが、いままでの研究を踏まえていまいちど再定義してみたい。

社会的弱者としての地位を強制され、またそれを自覚した人たちのとる行動としては、大きく3つにわけられる。その抑圧に対して1.迎合するか、2.反発するか、3.拒絶するか、である。

迎合する場合は、より上層のヒエラルキーを目指し努力するものと下層のヒエラルキーを自ら定義し、他人を貶めることによって相対的な自己の地位を高めようとするものにさらに細かく分けられる。

おそらくこの現象はいかなる社会においても見られる。努力によって自己の地位を向上せしめようとする行為は非常に健全であるし、他者を攻撃することで、相対的優位に立とうとする心理は、まさに学校社会におけるいじめの問題と構造を同じくする。
ただし、努力をしたにもかかわらず挫折をした場合は、その挫折の度合いにもよるが、より強く反発または虚無化することもまた申し添える必要があるだろう。


反発する場合は、反発の対象によって、恋愛功利主義などの恋愛主義の一部分への反発(≒恋愛原理主義)と恋愛主義全体への反発にわけられる。

萌える男 (ちくま新書)における「萌える男」は、反発型−恋愛功利主義への反発派に該当する。
つまり彼らが反発の対象としているものは、恋愛そのものではなく、功利化された恋愛という一部分であり、恋愛そのものに対する幻想は、著しくピュアである。だからこそ、リアルではなくバーチャルの、3次元では2次元の「キャラクター」を恋愛の対象とせざるを得ないという特徴がある。彼らは社会に対して反発こそしているものの、それはいうなれば流派の違いといったレベルの話であって、向いているベクトル自体は概ね同じであり、むしろベクトルの力は社会一般の平均よりも強いとさえいえるだろう。そういう意味で私はこの層については「恋愛原理主義」と呼びたい。そしてこの層はまさに「電車男」としてキャラクタライズされ、非モテを恋愛主義社会に再度取り入れるためのプロパガンダとなった。


拒絶する場合は、異なる価値観を持って自己を確立するものと価値観を拒絶することで虚無へと向かうもの(≒引きこもり)にわけられる。

異なる価値観については、代表的なものが「仕事」である。仕事とは社会における分業であり、それそのものが社会から承認をうける手段となる点で、恋愛の代替的である。但し、努力して恋愛における勝利を勝ち得ることが叶わなかったような層にとっては、社会的分業のハードルはなお高く、恋愛と仕事はセーフティーネットとしてお互いに補完するような関係にはなく、往々にしてどちらかを得られる人は他方も得、得られない人はどちらも得られないケースが多い。

さらに、恋愛主義は今日において若年層をも広範に支配しており、特に中高生の恋愛感応度は高く、恋愛主義と社会とを完全に同一視することもままある。これによって、非モテ非モテを認識する以前の幼少期において、挫折の経験を味わうことも少なくなく、ニヒリズムの蔓延に拍車をかけている。


まとめると。

  • 迎合型−向上主義
  • 迎合型−いじめ主義
  • 反発型−全否定主義
  • 反発型−原理主義
  • 拒絶型−自立主義
  • 拒絶型−虚無主義


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