転売屋の利益は何のコストか

先日、転売屋についてのエントリーを書いたところ、割と少なくない反応が寄せられたわけだが、なかでも比較的多かったのが「転売屋が巣食っているのは『限定品』などの供給量が変わらない市場だ」という指摘だ。

そういう指摘をする人が何を言いたいのかはイマイチ不明だが、供給量が変わらない市場の方が製品価格の変動要因が少ないから、転売屋にとってリスクが少ないのは明らかであり、そうした市場に「転売」の機会が多いのは間違いのない事実だろう。

ということで、今日は限定品市場に限って、転売屋の行動が市場に及ぼす影響について考えてみることにした。

消費者余剰と転売屋余剰

前のエントリーのコメント欄に書いた通り、限定品の市場では供給量が変わらないばかりか供給価格も変わらないので、転売屋がいない限りは供給曲線は「点」になる。供給曲線は、転売によってはじめて「点」から「線」になり、市場が均衡する。

ある商品が価格200円で限定100個売り出されたとしよう。需要は旺盛で、価格200円であれば300人くらいがそれを買いたいと思っている。当たり前だが供給100個に対して需要が300個なので、200個不足する。200人は欲しいけど買えないという状況だ。

ここに転売屋があらわれるとどうなるか。転売屋はあらゆる手を使って200円で商品を買い漁り、これを高値で転売する。需要が100人まで減少する価格が400円だったとすると、転売屋介在後の市場価格は400円まで吊り上がる。400円以上出してでもその商品を買いたいと思う人(100人)だけが残り、あとの人は商品購入を諦めることになる。

ここで注目したいのが消費者余剰だ。消費者余剰は、「取引から消費者が得る便益」のことで、消費者が支払ってもよいと考える価格から実際の取引価格を引いたものだ。

転売屋があらわれる前の市場では、商品を購入できなかった人には大きな不満が溜まる一方で、200円で商品を購入することができた人は大きな便益を得る。

転売屋があらわれると価格は400円に吊り上るから、その分消費者余剰は減り、減った分は転売屋の利益、即ち転売屋余剰となる。

ここまでの話を図にすると以下の通り。

  • 転売屋があらわれる前の限定品市場

  • 転売屋が介在した後の限定品市場

転売屋余剰とは何のコストか

転売屋があらわれる前の市場は、一見消費者余剰こそ大きいもののそもそも供給量が不足しており、誰が商品を手にすることが出来るかは純粋な早い者勝ちという、動物的な秩序が支配する市場である。

転売屋が介在した後の市場は、消費者余剰は小さくなるが、その商品に高い価格を出しても構わないと思っている人から順に便益を得ることが出来るという、極めて資本主義的な市場である。

別にどちらがいいとは言わないが、ここでの転売屋は市場に資本主義的な秩序を持たせるためのコストと言えるだろう。動物的な市場で便益を得ていた消費者からすれば実に余計なコストだということになろうが、まあ立場によるのだろうなと思う次第。

参考

上記は大学1年性で習う程度の基礎的なミクロ経済学だが、マンキューの入門経済学はこのレベルの議論を、実にわかりやすく整理している。いくつかのストーリーを軸に据えることで、単純に読み物としても面白い構成になってる。例えば上記は「通常、市場は経済活動を組織する良策である」という基本ストーリーの一環(上記は不完全競争なので例外的扱いにはなろうが)として語ることができるだろう。