インターネットによって仲介業者が滅ぶという幻想

情報通信技術の発達、とりわけインターネットの普及によっていわゆる仲介業者が不要となり、それにより消費者と生産者の便益が劇的に向上するとする議論が、世の中には意外と多い(印象)。

直接金融市場における調達コスト

こうしたストーリーの大部分が印象と先入観に基づくものに過ぎないというのは、金融市場を見ればわかる。

例えば地方の中小企業が設備投資資金を調達しようとした場合、普通、債券を発行して個人投資家に直接販売するようなマネはせず、間接金融業者たる銀行から借り入れを行う。理由は、直接販売すると非常にコストがかかるからだ。

企業が債券を発行して投資家に販売することで市場から直接資金を調達する場合、当然のことながら、企業は投資家に対して債券の安全性と利回りのバランスについてさまざまな角度から入念な説明を行わなければならない。これはいわゆる金融商品取引法の問題以前に、ものを売るときの大原則として。

自社が直面している様々なリスクの内容について、素人同然の個人投資家多数に説明する場合と、プロである銀行に説明する場合、どちらが発行会社にとってのコストが高くつくかは自明であろう。

更に言えば、単純にコストさえかければ個人投資家の理解を得られるならば状況としてはマシで、多くの場合、中小企業のような比較的リスクの高い会社は、説明にどれほど時間を費やしたとしても個人投資家に正確なリスクを伝えることはできない。問題は情報の量や質ではなくて、投資家側のリテラシーだからだ。企業は、自社の情報を開示することはできても、投資家を教育するようなことは普通しないし、できないだろう。

一般に個人投資家などは、会社の財務状態などよりもむしろ、その会社の知名度や第三者である専門家の意見を重視する傾向があるから、ある程度広告宣伝を行っていて知名度が高い消費材などの販売を行っている会社で、それなりの格付けがついているような会社は、資金を直接市場から調達しやすい*1

ここまでの議論を図にすると、以下の通り。

  • 直接金融市場での調達

  • 金融業者を介した調達

完全競争市場では格差が固定化する

さて、上記の議論は別に金融市場に限った話では全くなく、債券の発行会社を商品やサービスの売り手、投資家を買い手や消費者に置き換えることで、基本的にありとあらゆる市場に当てはめることができ、これによって非常にシンプルな結論を導くことができる。即ち、仲介業者を排した直接的な市場では、知名度などの単純な指標によって売り手の優位性が固定化するということだ。

そしてこの傾向は、販売される製品やサービスが複雑なものであればあるほど強まる。

例えば、労働市場について考えてみよう。スキルが高く優秀な高額所得者であれば、転職エージェントなどに頼らずとも、SNSなどのネット媒体でも何でもいいが、ともかく何らかの知り合いなどを通じて少なくないお誘いを受けることができようが、期間工や派遣社員を直接市場から一本釣りする会社はなく、そうした職を求める人にとっては、エージェントによる推挙は重要である。

仲介業者を排した市場は、経済全体からみても全く効率的とは言えない。一部の富める人のみが、市場からさらに資本を集めることができるような状況になると、その市場に新規参入した会社や個人が資本を集めることができず、格差は固定化し、経済の新陳代謝は途絶える。一部の"勝ち組"もやがて衰え、生産性の低下に見舞われ、市場からの退出を迫られることになるが、そのときに"次"が育っていないと、経済は劇的に停滞することになる。

これはまるで日本の現状のようで、日本に不足していたのは資本を効率的に配分することのできる仲介業者だったのかもしれない*2

インターネットの爆発的な普及によって、実際にどのような企業が成功を収めたか考えてみて欲しい。グーグル(アドセンス)は広告に関しての、アマゾンは書籍などの様々な商品に関しての仲介業者に他ならない。

モノやカネをただ右から左に動かすだけで何も生み出さないなどとして、仲介業者を過剰に軽視する風潮が日本にはあるやに感じるが、そうした風潮が今日の日本を長期停滞に至らしめている可能性もないとは言えない。

*1:例えばソフトバンクのホークス債など。

*2:ちなみに、エージェンシーコストについて知らないわけでも忘れてるわけでもないが、エージェンシーコストを補って余りある価値をエージェントが提供している可能性はあると考えている。