AKBバブルの終焉

去年の晦日に書いた「AKB48に学ぶ証券化の基礎技術とCDO48」というエントリーは、ブックマーク数こそ然程多くなかったが、ツイッターではわりと好評で、結果的にアクセスはそこそこ多かった。そこで私が書いたことは、AKB48というモデルが数年前に世界の金融業界を狂乱させた証券化の仕組みと"いかに類似しているか"ということであり、このモデルにはまだ素晴らしい金儲けのための"伸びしろ"があるだろうという話だった。揶揄するニュアンスが全くなかったかと言うとそんなことはないが、基本的にはAKB48をポジティブに評価していた。ところが、その後の関連ニュースなどを見ていると 、この評価ははやくも撤回しなくてはならないようだ。

結論から言うと、前田敦子を変なドラマに出すくらいならまだしも、板野友美をソロデビューさせた時点でAKB48は終わったと思う。

隠匿したはずの個にわざわざフィーチャーするという奇行

先日のエントリーでは、AKB48の大きな特徴として個々人よりも総体としての雰囲気が優っていることをあげ、ポートフォリオ理論や大数の法則などの何となくそれっぽい概念を前面に出して投資家の脳を麻痺させ、個別銘柄のリスクを隠匿する証券化の基礎技術を例示することで、解説した。以下は前回エントリーの一部である。

若い女の子の集団が醸す独特のキャピキャピした雰囲気は、オヤジの脳を麻痺させる。これは、個体を取り出せば普通にひとりの人間でも、集団になると抽象的な概念として認識されるからで、要するにオヤジは<若い女の子>という概念に目がないからだ。
個別の女の子については当然人によって好みが分かれようが、<若い女の子>という概念であれば話は別で、世の男性の大半はそれが好きである。AKB48という概念も然りで、あれだけたくさんいると個別に顔と名前を一致させていく作業は常人にとって不可能に近く、総体としてのなんとなくの雰囲気で捉えてしまいがちだ。

AKB48に学ぶ証券化の基礎技術とCDO48 - よそ行きの妄想

つまり、あの集団から個を取りだしたら何の取り柄もないことがばれるだけに決まっているのだ。もともと大した取り柄もないから集団にして誤魔化していたのに、集団で人気が出ると個人でもいけるのではないかと勘違いしてしまう愚かしさには空いた口が塞がらない。

これはつまり、投資銀行サブプライム住宅ローン債権を加工して販売してもらっていた住宅ローン会社が、投資銀行の経済的成功を目の当たりにした途端に色目を出し、何を勘違いしたのか自ら個別のサブプライム住宅ローン債権を、直接機関投資家に売り込みにいくようなもので、門前払いされることは火を見るより明らかである。売り込みを受けた機関投資家が多少賢明であれば、住宅ローン会社から持ち込まれた債権を一瞥してその信用状態の低さに気づき、こんなものを加工した商品を今まで喜んで買っていたのかと驚き、二度とサブプライムローン証券化商品は買わなくなるだろう。

いま、芸能事務書は最新の顔面加工技術を駆使して、ぎりぎりのところで"商品"の価値を偽装しているが、ネットでは以下のような写真が出回っているわけで、一度点いた疑いの火はなかなか消えないわけである。

AKB48の板野友美さんのアゴがヤバイ:ハムスター速報

ファンを愚弄し搾取を暴露する愚策

私が先日のエントリーでもうひとつの大きな特徴としてあげたのが、キャバクラさながらのランク付けシステムである。

AKB48のメンバーたちは、総選挙なるシステムによってランク付けされる。総選挙において投票するのは無論彼女らのファンであり、そして投票用紙は有料である。シングルCDを1枚買うと1票が付与される仕組みだ。この仕組みのもと、ファンたちは血眼になってCDを買い漁り、お気に入りのメンバーに投票を行う。であるから、AKB48のランクはつまり、ファンからの貢ぎ物の量によって決まるということに他ならない。一番貢がせたやつが勝ちなのだ。
世の中に貨幣ほど客観的な尺度はなく、ファンからの貢ぎ物によってつくられたランクは客観的かつ重要な意味を持つことになる。そうしたランクにおいてナンバー1になることが特別な意味を持つことは論を俟たない。

AKB48に学ぶ証券化の基礎技術とCDO48 - よそ行きの妄想

要するに私が言いたいのは、じゃあ大島優子って何だったのという話である。大島優子は言わずと知れた2010年総選挙のナンバーワンだ。私が初めて大島優子をテレビで見たのは、2010年の総選挙の結果が発表されたときだったが、この何とも言えない微妙な人がトップアイドルになれるのかと、AKB48の凄まじいAKB48に学ぶ証券化の基礎技術とCDO48 - よそ行きの妄想アイドルロンダリングの力に恐れおののいたものだ。

他方、前田敦子は2009年1位で2010年は2位だからまだいいとしても、板野友美は2009年は7位、2010年でようやく4位だ。仮面ライダーダブルでの女子高生コスが幼子を持つ世のオヤジ共のハートを掴んだ*1か何かは知らないが、上位3位をすっ飛ばして4位がソロデビューするというのは事務所の力学という大人の事情以外の何物でもなく、せっせと上位メンバーに貢いだファンからすれば実に面白くないことこのうえなかろう。

まるで証券化商品の原債権がどれだけゴミのようなものであっても一番優先して弁済がなされるトランシェ(階層)ということになると何故かAAA級のやたら高い格付けがついてしまうように、どんな女子でも100人かそこらかき集めて総選挙で”ナンバーワン”を創れば、なんとなく可愛いような気がしてきて、いつの間にかアイドルが誕生してしまうというのが、AKB48の本質の一部だった。AKB48SKE48NMB48の売れないメンバーを寄せ集めてCDO48を創ればよい、CDO48でもナンバーワンはナンバーワンなのだという話をしたが、これも当然総選挙の絶対性さえ保持されていればの話である。

ところがAKB48の関係者がやっていることはこれと全く逆で、折角AAA格がついて投資家が喜んで買おうとしているその債権を、その投資家の目の前で全力でショートしてみせるような所業を平気でやってのけている。詐欺が露呈するどころの騒ぎではない。

これでは、総選挙にはヲタからカネを巻き上げるカツアゲ以上の意味は何もないと公言しているようなものではないか。

AKBの行く末は…

AKB48関係者はおそらく、アイドルは個で売るというレガシーなモデルから脱却できておらず、AKB48を売れっ子アイドルの公開オークションか何かと思っているのではないだろうか。もしくはやつらを全員ソロデビューさせれば儲けが48倍になる的な幼稚な妄想に捉われている可能性も否定できない。

図らずしもAKB関連の詐欺事件は増加しており、世の中が熱狂状態にあることを示している。熱狂状態の特徴は、必ず覚めるときがくるということだ。熱狂が終わったときに持続可能なモデルが出来ていないと、単にバブルが崩壊したという話だけで、後には何も残らない。

AKB48はあくまで、AKB48という集団でブランディングされるべきだと私は主張したい。金融以外の例を出すと、例えば宝塚のように。個人で売れるのは、卒業後でいい。元AKBナンバーワンと触れ込めば、城咲 仁よりは多少箔が付くだろう。

*1:一部経験談を含む。